ちょこっと休憩させてもらいます。

記事
ライフスタイル
花粉がつらくなってきた今日この頃ですが、一旦、プロファイリングの受付を一週間くらい、閉めさせてもらうね〜。

プロファイリングは、一旦意識を繋ぐと、全神経集中モードなのでエネルギーの消耗が激しい。だから、合間合間に事務処理するような余裕がなくなる。

 で、気がついたら確定申告が全く手付かず、
こういう事務処理が一番苦手なんで、後で、後で、と先延ばしにしてるうちに、もう後がない状態で...。(^^;
今から、一年分の処理、やれるんだろうかっ
と、気が重いのですが、とにかく、それをまずやらなきゃいけないんだよね。
だから、一旦ストップします。

そうそう、この間、ピカチュウと二人で子供の授業参観に行ってきました。
 京都の公立の授業参観、東京とは違いがたくさんあって、楽しかったのでその話をちょっとします。w

基本的に京都人というのは、みんな子煩悩なんです。
だから、東京では土曜日に参観があったとしても、父親が来ることはほとんどなくて、男はピカチュウしかいないみたいなこともよくあったんですが、京都人ってのは、平日にも関わらず、たいてい夫婦揃って、子供のために授業参観仲良く見にくるんですよ。たぶん、お父さんはわざわざ子供のために仕事を休んで観にきてるんだと思う。

 父親が母親に任せっきりにする世帯が多い東京と違い、京都ではお父さんが積極的に子育て参加していて、基本的に子供との生活を楽しみ、子供が好きなお父さんが多いです。子供のために働いてるのがすごくわかる。
 子育て終えてもどの人も京都の人は子供にとっても優しいんです。
 東京ではお互い言葉を交わすこともなく、業務処理みたいに淡々と進んでいく参観風景が通例だったんだけど、こういう感じで、京都の公立では、初めて会った親同士でも、アットホームに話せそうなムードが流れてたんですよね。
驚きました。子供もフツーにフレンドリーですしね。

 授業のテーマで、子供がグループごとにクイズを出して、他の子供グループに当ててもらう、みたいなアクティビティの時なんかは、お母さん、お父さんも、お子さんのやり取りの中に参加してください〜と言われて、自分の子のそばに付き添ったんですけど、

「色は灰色です。形は、四角です。大きさは、教科書くらいです!さてそれはなんでしょう?」と、娘が言うと、
そこにいた六人くらいの父母全員が、大袈裟に頭を抱えたあと、

「あ〜はい!わかりました!フライパン?!」とか
「え〜っと、お好み焼きを焼くやつ!?」とか、
答えを知ってるのに、まるで打ち合わせたかのように、全員がリアクション付きで、あえて間違えるんですよ。w

 子供のクイズが大喜利化してるんです。w
京都の保護者たちが、いかに子供たちのクイズを盛り上げるか、自分がスマートにボケられるかに、めちゃ頭を使っているのが察せられて、サービス精神の塊のような京都人の姿に、私は

やっぱり、ここは西や〜!!!www

 と、京都の親たちをたちまち好きになった。

一見、怖い顔したいかついクールなお父さんたちでさえ、派手なボケとウィットを忘れない。西の親たちはひたすら明るい。
 子供がうまくやれないことを叱る親なんて一人もいなかった。
 京都では、みんなが笑えることを、いかにコミュニケーションの中で提供するかを考えられる人が粋だ。
笑いの提供は、サービス精神であり、優しさなのだ。

 しかし首都圏では、こんなに一生懸命ボケようとする親は皆無である。
真面目に答えるか、さっさと解答して次に行くか、である。
 そこで例え、面白いことを言っても、まるで自分には関係のないかのように「面白いですね。」って言って、そのまま素顔でスルーされていく。
広がっていかない。
だから、面白いことを言っても、なんか損した気分になる。
つまんね〜

 一方、京都では、誰かが面白いこと言ったら、それに応じるようにその場にいた人が、さらに面白いことでまたそれをひっくり返してくる。
 笑いをみんなで楽しむし、そんなことをやってるうちに、その場があったかいものになっていく。笑うためにつないで会話するような感じ。
 そして子供たちも、その親たちの温かさに包まれながら、笑顔でいっぱいになっていく。京都の洛中の公立って、うちの地域がたまたまかわからへんけど、こんな感じなんだよね。
 何年東京に住んでも、東京生まれであっても、通り一遍は返答するけど、ずっとよそよそしい東京の人たちと違い、人の温かさに心からホッとする。

先日、東京に帰った時も、またまた最悪だった。
 実家のマンションに行く時、たまたまエレベーターに乗り合わせた子連れの男に、自分たちの方がボタンに近かったので「何階に行かれますか?」って聞いたら、無言。そして遠くから手を伸ばして、その男は自分でボタンを押した。ん〜何か言え。感じが悪い。
 そして、同じ階で降りたので、「近所やったんやね」と子供の方に話しかけたら、男は舌打ちをするように、「返事するな」と子供に合図して、一言もものを言わずに自分の部屋に子供と自分を避けるようにして、子供と入っていった。お前こそ、不審者か!?
ああ、これが東京のスタンダードだったな、と久しぶりに思い出した次第。


 京都では、エレベーターに乗り合わせたマンションの住人は、初めてあったもの同士でも、無言ってことはまずなく、挨拶くらいする。
 そして、「寒いですね〜」とか、「ほな、お先に。」とか何かしら挨拶を交わすのがスタンダードで、ゴミ捨ての時、ちょっと気を利かせてドアを押さえておいてくれたり、なんてこともある。名前も知らないし、特に親しいわけでなくても、そのやり取りがあるだけで、相手も自分も心がホッする。

 挨拶したからと言って、急接近していくわけでもないし、それ以上相手が踏み込んでくることもない。そこには、相手と自分のガードをおろしあい、必要な情報を自然にやりとりしやすいよう、導入的な雰囲気を心がける、お互いの気遣いがあるだけだ。

 でも東京は違う。他人を最初から、競争相手、不審者、侵入者と決めつけ、排除する雰囲気がバリバリある。だから見知らぬ人に挨拶しても、挨拶が返ってこない。引っ越しても引越しの挨拶もない。
 相手に役に立つ良い情報をシェアしても、「タメセン」っているよな、と平気で呟き、自慢だと思われる。心が歪みすぎている。
 そんなふうに、東京人は、基本的に目の前の人がまるでそこにいないかのように、振る舞う。
 話しかけられたら、めんどくさそうに答える中年の多いこと、多いこと。
これが東京。道を聞いても、適当に指差すだけ。
 京都では、道を聞いたら、相手がわかるまで、誰でもわかるところまで道案内してくれる人は多い。「だって、心配じゃない?」って京都人はいう。

 先日、京都の美容師にその話をしたら、「それすごいわかる。東に行くと、顕著なんですけど、こないだ山形の山を登りに行ったんですよね。山って挨拶するのがマナーじゃないですか。でも、どこもそうなんですけど、東の山に登りに行くと、する人はするけど、東の山って、すれ違っても登山者が挨拶しない率が圧倒的に多いんですよね。不気味ですよね...」と言っていた。

 確かに全員しないわけではない。挨拶する人はいるにはいるけど、西に比べてそう言う人たちが圧倒的に少ない、と言うのが、東日本の現状だと言うことを、東日本の人間たちは気がついていない。
 そして、それは海外の人たちから「日本人ってちょっとおかしいよね」と思われている振る舞いだと言うことも気がついていない。店に入っても、店の人に挨拶しない。店の人は挨拶するけど、客は無視する。
人の店に無言で侵入する日本人を外国人は気味が悪いと言っていた。
 ちなみに京都のフツーの商店では、「御免くださ〜い」とか「こんにちは〜」と声をかけて入ることが多い。他愛のない話をする。無言、無視はない。

人がモノ化する東京では、人が人を人扱いしない。
だから、挨拶はしない。
 一緒に乗り合わせた乗客も、すれ違う他人も、所詮「物体」。数字。
スマホを見ていれば、目の前で起きている喧嘩も、席を譲ってほしい老人の姿も妊婦も目に入れなくてすむ。

 東京の中心地でホストが刺された時、それを止血してあげている男性が、「救急車呼んでくださーい」と頼んでいるにも関わらず、人だかりはスマホで現場の動画ばかり撮っていて、誰も救急車呼んでくれなかった。東京、異常。と言っていた話をXで見たんだけど、それ、すごくわかる。
 東京人は感情を失っているので、自己保存のために自分がどう見られるかは気にするものの、本質的に他人に関心がなく、機械的に一律に動き、同じものを見て、同じものを食べて、同じ服を着て、同じテレビを見る。
これが普通だと思っている。

 都会はもう住むところじゃないよな、知らぬは東京人ばかりだよな、って、先日もつくづくピカチュウと話していた。京都はとにかく面白いんだ、とピカチュウは、毎日アクティブに動き回っている。
だから自分も、京都に帰ってくると、あ〜ホームに帰ってきた、と思うし、東京に行くと、早く京都に帰りたい、と思う。

 同じ都会の大阪も似たような傾向はあるかもしれないけど、東京ほどひどくはない。そして、もしかしたら、大阪の授業参観は、もっと面白さに命かけてる人とか、保護者でもサービス精神が高い人たちがいるのかもしれない。
 そして、西は人としての感情を失ってない。時に原始的な部分を残した人はいるにせよ、人っていいなぁって思えるものを持った人がまだいっぱいいる。女性が女性らしく、男性が男性らしい。そして西には遊び心がいっぱいある。

 振り返れば今月で、京都に越してきて1年経ったけど、悠久のときを過ごしたくらい濃い毎日だった。いろんなことが激しく起こりすぎて、ヘトヘトだけど、大きく生活が様変わりした。
 ママ友が一人もできなかったといっていい、村八分付き合いと意地悪がやたら多かった東京の育児と違って、京都の今は、何人か一緒に子供を連れて、遊びにいけるママ友ができた。

 京都に住まう人は、この人つくづく変人だなぁと思いながらも、変人に耐性が高く、ゆとりを持って変人に付き合えるような、独特の感性がある。w
とにかく、京都人が好き。京都の街が好き。

 不動産業界の黒さと激しい天候変化にはまだ慣れないけど、総じて、ほんとに理想の街。死ぬまで、京都でずっと暮らしたいと思ってる。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す