五行の土性は、なぜ黄色?

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 正月気分もそろそろ切り替えて、大学の試験勉強もしなくちゃならないんですけども、仕事もしなくちゃいけないし、病院も行かなきゃいけなかったりと、なんか頭の中は、わちゃわちゃしたままですが、今年は、のんびり心穏やかな年になってくれるといいなぁと望んでいます。

さて、実学算命学の発信のためにこのブログを始めてから、結構経つんですけども、思った以上に反響があって、ブログに出会った時は本当に感動したとか、出会ってからは夢中で読み漁りました、とか、他のどこの算命学よりも正確に自分の特徴を言い当てててびっくりしました、という感想を時々いただいたりしてきましたが、今やこのマニアックなブログが、なんと3ヶ月で6万8000件以上のアクセスを計測するんですよね...
 えぇっ!一記事がこんなに長いのに、こんなに沢山の方が読んでくれはるんや〜!!(@@;)
って、びっくりしながらも、いやはや....ありがたいことです。

 大学の教授も、算命学世界の構造やネガティブな部分を知る私との交流を通して、「算命学を人を惑わす占いとして野放しにしてはならない、学問として昇華させなさい!」とこれまで自分が関わってきた教え子の算命学の鑑定士たちにまで説教するようになった、と最近、お話しされていましたね。

 そう、算命学は誰もが使っていいものじゃない。
技法だけ知っていて、思想を知らないと、人を支配する道具になる。
そして器をこえて、これを使えば、自らを滅ぼすものとなる。

 自分が算命学との関わりの初期の頃に色々な体験を通して悟ったこのことは、密教を深く知る大学教授たちとの交流を通して、より信憑性が高まり、戦後商売の道具として一般大衆へ売り渡された算命学を、本来の聖なる場所へ帰そう、源流へ戻そうという自分と(そしてそうすべき、という教授の)思いを固める結果になりました。

 占いとして適当に当たった外れた、を楽しむのも良いですけども、そこに足を取られ、占いに人生を翻弄され続けている人がいるならば、イヤイヤ、それはなんとでも言える遊びだよ、って言うために、もしくは不安を拭い去るために、そういう人たちに向けて、学問的思想背景のつながりと自己分析情報として距離を取れる、もう一つの算命学があるよ、っていう選択肢を生み出そう、というような感覚でいるんです。
 そして、それには、クライエントさんとの一つの出会いが心の後押ししてくれたようにも思います。匿名でちょっとだけお話ししたいと思います。

 気の世界では、母親は、産後子供が3歳になるまで、もっと大きくいうならば7歳になるまで、子供に自分の生命力を取られるので、精神状態が普通ではない状況に置かれています。
 なので、基本的に産後から3年以内のクライエントさんは、他人からすると些細なことで、心の深いところに消えない傷がついてしまうほど過敏な状況におられます。
ですから、相談内容によほどのことがない限りは、私はプロファイリングをお断りするんですよね。
このクライエントさんもそのケースにあたる方でした。
 そもそも、この方は以前、街の占いで算命学でみてもらい、天誅殺の結婚だね、と言われたそうなんです。そしてその後、自分で天誅殺について調べた。
 その方は、本当に苦労の環境でやっと掴んだ結婚でしたので、占いの館で言われたことが不安でどうなのか、なんとなく頭から離れなかったわけです。
このご相談のテーマは、本質的に気をとらえた人が複数の日付を見ないと非常に判断が難しいものでした。
それで、しばし考えたんですけど、引き受けることにしたんですよね。
 なぜって、その方にとっては一生に関わる相談でも、その後に出会う街の鑑定士さんは、どのかたも時間かけて、そこまで責任を持って見ないし、ましてや経験が浅いとさらに傷を深くするような変な判定をしかねない懸念があったからです。

 そもそもですけど、もしその占い師さんが、ちゃんと心の勉強をしていたとしたら、占い技法に走る前にすべきことがあったと思うんですよ。
 つまり、ちゃんと相談者の背景をじっくり聞いてあげて、相手の置かれた立場を想像してものを話したとしたら、こうはならなかったと思うんですよ。
そもそも迷いの種になる天誅殺の結婚に触れるべきでなかったかもしれない。
 結局は、その占い師さんが、人間愛があるか、どれだけ世の中のこと、人間のことを学んでいるか次第、なんですよね。

そのクライエントさんのご依頼では、心の持ち方の注意事項や向上していく方向性に条件はいくつもあるけども、自分が何を望んでいるかによって未来は変わる。つまり、全ては決定づけられた未来ではないことを気の理論的に知っていただくことになり、非常に喜んで、不安を解決していかれました。

 心の重荷をおろして、手がかりになる指針を持って安心して、大切なお子さんを明るい気持ちで育てていってほしいですよね。
そして、同時にこういう方を巷でたくさん作り出しているのが、算命学の占い世界だよなぁとも思いました。
 学校やネットで学んだ技法、それが確定された全てなんだと、どこかで過信してしまうからだと思います。人の心は無限の宇宙世界です。学んでも学んでも終わりはない。それは霊能者にも言えることだと思います。

 そもそも大変な過去があった方にとって、自分の子供を産み育てるということは、子供に同じ体験をさせたくないと思うからこそ、気負いが生じます。並大抵のプレッシャーではありません。普通の環境で育った人には想像がつかない不安でいっぱいです。そして、心を壊したら、体も壊します。

 そんな状況で、天誅殺で結婚したあなたは離婚します!って、心の重心をちょっとかけてみた人に、暗に言われちゃったら、どうでしょうか。

壊れますよね。

 それは、心理学を学び、臨床をしっかり体験してきた人でないと察することができません。

 街の占い師さんが、占い技法だけしか知らないで、人の相談に簡単にのってはいけない理由って、そういうことなんですよ。

 占い師にとっては、相談業はただのエンタメです。ただのおしゃべりで心の悩みを受け止めてあげて、お金をいただければいいわけです。
 占い師が長いおばちゃんは、聞き上手ですが、おばちゃんトークで愚痴を聞いて、スッキリして帰ってもらう感覚でOKだと思っている人が大半です。
でも相談業が、それでいいのならば、なぜ、臨床心理士さんは国家資格なのでしょうか?
6年以上かけて、しっかりと学ばされているのでしょうか。

宗教家だって、そうです。
牧師だって、神学校に行く。
坊主だって、寺で必ず何年も修行し、精神を鍛えます。
なぜ、被相談者にはしっかりとした勉強が必要なのでしょうか。

それは、心が命と直結するからだと、私は思うんです。

人は、同じ生年月日であっても、一人一人が違います。どんな背景にいるのか、どういう心の状況にいるのか、霊が見える霊能者ですら、本当のところ、その人から何が見えるか、何がベストなのか、全てはわからないんです。

そして、心は、生命力を紡ぎ出す、コアな場所です。

 クライエントさんにとって、人に相談をするということは、自分の一番大事で弱い心の場所を他人に晒し、その被相談者の尺度や物差しで自分を測ってもらうことになります。
 ガードを下ろした丸腰の状態で、話を聞く相手の態度が適当なチャットだったり、当てずっぽうだったり、ましてや気分を良くして、相手の心の核を掴んで支配し、なんとかする、と言って、お金を貢がせるようなことであっていいのでしょうか。

 心は命に通じるのに、占い師には相談業の責任を負う義務がありません。
あくまで一人一人の個人的な倫理観や道徳観によって、それぞれのスタイルの営業がなされているわけです。ある意味で、どこまでも無責任になれる世界であり、心を開いて相談した相手を信者にしていくことができる世界。
そして、ある意味でヨーロッパのジプシーのように、背景が不透明でも、マイノリティでも、年齢に関わらず、どんな職業カテゴリーにもハマれない特殊な人たちが活躍できる世界。

だから、占い師を嫌う人たちの気持ちはよくわかります。自分も自分を説明しながら、まるで胡散クセェわ(そうじゃなくて学問なんです!!って思いながら)と非常に辛いものがあります。うう..
 しかし日本の社会の現実として、心の悩みの置き場所がない人たちにとって、医療専門系のカウンセリングは、気軽に行ける場所じゃない。
お試しできる場所ではない。
 なにしろ、料金も含めて、非常に敷居が高いものであり、そういうところに通って周りに病気と思われたくないという心理も働く。
 だから、占いの館などで、ちょっと聞いてみよう、と思うのだと思うんですよね。もしくは、宗教に入っているならば、その宗教の相談役の人にお尋ねするとかですね。

 そしたらやっぱり、相談をされる人はその立場でどうあるべきなのかが、非常に問われると思うんですよね。

俺の占い、こんだけすごいんだ!
俺の霊視、こんなに見えるんだ!
.....じゃないと思うんですよ。

どれだけ真面目にやっているか、どんだけ相手にとって助かることを考えて動くか、(あとは実用性)だと思うんですよね。

 相談を受ける側は、自分にかかっているカルマ・煩悩、そんなフィルターを常に取り払っていく必要性があるし、常に知識や価値観も更新していかなければならない。

 宗教家でもなく、カウンセラーでもなく、心理専門家でもなく、医者でもなく、先生でもなく、友達でもない、どのカテゴリーでも埋められない領域を埋める職業だからこそ、自分で自分を律したり、磨いていかないといけない仕事だと思うんですよ。
 何より、人の悩みを受け止めるということを軽く考えていたら、相談業を選んだ自分自身が最終的に自分を裁くことになると思うんですよね。

 基本的に私は、一人の人間として、お気楽にカジュアルに生きていたい人ですけど、心の中では、この仕事をやりながら、私はその重さについても十分承知してます。

 どこまで続けられるかわからないけど、途中で、もうあかん!って投げ出すかもしれないけど、でもやれるとこまでやってみよう、この道を極めるっていうのはそんな感じでもあります。

 そんなことを書いてるとまぁ辛そうですけど、ただ、救いがあるのは、この探求の道が自分にとっては、超マニアックで究極で面白いことですね。
 ああ、永遠にこの大学に所属していたい、って思うときが何度もあります。
だから、入ったらもう、卒業しなくてもいいのかもしれません。w

 それに京都は生涯学習の場所として、いろいろな仕組みがたくさんあるので、一つの大学に入っていると、40以上の大学と連携して、単位交換できるという特殊な仕組みがあるので、探究したいテーマをどこまでも追っていける。 例えば、同志社大学の人が京都大学の興味ある授業を受けにいったり、龍谷大学の人が花園大学の授業を取ったりできるんですよね。
 そうなると学びたいものにとって、偏差値の壁とか関係なくなります。
 京都って、学ぼう、学びたい、と思う人たちには、その背景を問わず、いくらでも門を開いてくれるすごい学問都市なんですよ。
 玉堂星のうちの娘が一年生の時、知りたいことがあまりにありすぎて、勉強したくてしたくて、抑えられなくて苦しいんだ〜!!
ということを言ってきたことがあるのですが、今なら、その気持ちわかるな。

 ただね、今年、正規の学生になるための受験しようと思ったんですけど、結局、色々考えた挙句、単位あたりの授業料の金額が今の立場の方がかなり安いので、しばらく今のままでいて、交換単位のリミットが来たら、正規大学生の立場にうつるということにしました。(就職を目的としてはいない生涯学習なので。)



今、時計見て、びっくりしたんですけど、
ここで、だいぶ、テーマから外れていってしまったので、引き戻さなくちゃ。
算命学の知識を得たくてみてる人のために設定した今日のテーマなんでね。

はい、
五行の土性についてですね。

ご存じ、木火土金水の五行のすべてには、色がありますよね。
木気は緑(青)、火気は赤、土気は黄色、金気は白、水気は黒(紫)です。
で、木性が青なのは、新緑とか草とかイメージしてもわかります。
火が赤なのも。金性は白く輝くから白かな、とかね。

でも土はなんで黄色なんだろう?
って、思ってたんですよね。
これ、日本人からすると、全然わからない感覚なんですけども、それもそのはず、中華大陸の人たちにとって、土は黄色をしているんですよ。

中国大陸の王朝が発生したところや黄河流域の土地って、なんと、土が黄色いんです。かなり広い地域ですが、黄土高原って名前で有名です。
そして、陰陽五行思想を使っていた王朝の都がある場所って、みんな土は黄色かったんです。

(ウィキペディアより)
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この黄土高原の東南部(現在の山西省の南部)には、紀元前七百年前のの時代にがあったし、春秋時代(BC722~450)のがあり、そして、黄土高原の南西部にあったは、始皇帝によって初めて全国統一(BC221)を果たすわけです。

 この土が混じった雨水が流れ込み、泥を運んだ黄河のほとり、西安(長安)には、王朝(BC202~196)ができて、前漢、後漢時代合わせて四百年も続いてます。そして、四世紀末には山西省の大同に北魏の都ができて、人口百万の大都市だったそうなんですよ。

 つまり、大きな国や都ができたということは、兵力や首都の人口を食わせることができるほど黄土高原が肥沃な大地だったってことなんですよね。
現在は砂漠化してまた緑化してみたいなことになってるみたいですが、日本にやってくる黄砂が黄色であることを見てもわかるように、中華大陸の人たちにとって土とは黄色いのが普通だったんですよね。


はい。
この黄土高原の黄色の土が、富や財や人を引っ張ってくる。
だから土性は、黄色なんです。

日本人にとって土は、茶色か黒ですから、思っても見ないですよね。w
ただ、黄色い土がないわけじゃあなく、日本でも、京都の伏見では黄色土が取れるところがあって、それが焼き物の土になったりしてます。

万里の長城のある地域やモンゴルの遊牧民が住んでいる地域も、土が黄色っぽかったみたいですが、五行論って、やっぱり中国産なんだなぁと思った次第です。

昨年、天庫星とか天極星の記事を書くと約束していた方、執筆、遅れててごめんなさい。これね、死後の世界について、めちゃめちゃ、ガッツリ書きたいんですよ。そして、記事の構想考えていた時期に実際に倒れて、東京で治療して、自分本当に死ぬかもって思った期間になったので、間近に迫る死のイメージが怖かったこともあり、しばらくそのコンセプトを意図的に避けてた次第。
 だから時間が必要で、今年中には絶対書くけど、も少しまってほしい。

では、今日はとりあえずこの辺で。
実学算命学プロファイラー Jemmyでした。

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