矛盾のエネルギーは結構重たい

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暦の上では10月が始まり(気の上ではまだだけど)、我が家もそれまでの環境を完全に切り替えることになりました。
 切り替える時は、少し執着がなくもなかったんですが、しばらく経つと意外にも内面にたまっていた「矛盾」がごっそり消えて、自分の思考に自由さが戻ってきたのを実感してるんですよね。

 同じ環境にいても、矛盾を感じられないでそのまま行く人、矛盾は感じつつも個人的ないろんな理屈や理由・損得計算があって、おかしいと思っていながら、そこから離れるという選択を取れない人たちも自分の周りにはいました。
 そしてその人たちの理由を聞きつつ、それも一理あるけど....と、もちろん天秤にかけて決断に迷わなくもなかったですが、

でも辞めてしまえば、なんてことはない。
後悔なんて、全くない。
そしていち早く手を打てたことに、誇りを持ちました。

そして矛盾と、現実的なつながりを切ったことで、これまでもっていた「一緒にやっていく仲間をそんな風に思ったら悪いなぁ〜」という遠慮の意識も同時に消えたので、より、明確に相入れない部分と茹でガエルのような自分の機会損失のほうがはっきり見えたんですよね。
 見限って、切り捨てることで、自分の方針に楽に戻れた。
 だから、つくづつ、ああ、いい判断をしたなぁと思っています。

そして矛盾にとらわれて悩む余計な労力と時間も浮いたわけなので、時間と空間にあたらしいスペースができ、そこに本当に家族にとって必要なものを入れてあげることができたのも良かったなぁと。
物質的な損失も大きかったと思いますが、まぁそれは高い勉強代。

それより、人間というのは、物質的な損得より、実は精神的なダメージの方がずっと大きいものだということを痛感している次第です。
 違和感や矛盾に長くさらされる環境は、生きていく上でなによりも無駄な消耗をさせられるのです。ほんと、もうそこは断捨離していく時代ですね。

 この間、ドイツ総領事が京都に来たとき、京都は日本の裏(隠れた)首都だとおっしゃってました。本当にその通りだと思いますし、さすがに日本のことを非常に深く知り抜いているなぁと思いました。
 京都はいろんな国から学生さんや技術者がきていて、東京の先端のものを追いかけていく東京にいる外国人たちとは違う、落ち着いた教養層の外国人や家族連れがいっぱいきています。
 この間も一緒に地域の神輿についていくなかで見かけた外国人グループにはなしかけたら、ドイツからの留学生だとのことでした。
 地方都市にいながら、いろいろな国との交流があるんです。
 そして京都を知れば、日本人の心のルーツが面白いほどよくわかる。
日本人からしても、いろいろな都市伝説はあっても、京都の街は何よりも重要で、精神の柱になる大切な歴史をもつ街です。

 一方、これまで子供達が通っていたインターナショナル・スクールのインド系英語ネイティブ校長は、会話の中で、たびたびこの京都を田舎で保守的だと評していました。あえてコメントしなかったものの、私はそれを聞くたび、自分と同じ東京出身のこのバイリンガル校長の浅い見識にたいして、この人が日本国籍だったのもあって、なおさら上っ面の表面的なことしか理解できないこの人の感性を情けなく感じていました。
 イスラム教の方なので、単に優越白黒つけたかっただけなのかもしれませんが(そしてこの英語ネイティブ校長は、そんなことを僕は元々いってないと、言動一致が当たり前の日本人のモラルの想像を超えて、嘘も簡単につきますので否定するかも知れませんが。)、少なくともダイバーシティをうたい、多文化、多人種、多言語理解をめざすインターナショナル・スクールの校長の多様性理解と教養力とは結局のところどれほどなのか、ということも、この半年付き合うなかで、容易に実態が察せられました。
 多様性理解を立派に語らなくても、その人をみれば、それが身についているかいないかなど、一目瞭然なんです。
 多様性をうけいれている人は、まとう気が違います。一緒にいる周りのひとを穏やかな心にさせます。人種も国も超えて、感じられる気の世界の真実。
 相手に緊張させられると言うことは、そのひとから受け入れられていない、そして自分と相入れないエネルギーを持つ相手なんだ、と、頭脳的な理屈を超えて、自分の体が感じて拒否していると言うことなんですよね。
 今思えば、そっちの感覚をもっと信用すれば良かった。

お茶を飲みながら、今ではこんなことを話します。
「まぁ、結局、上っ面だけ立派な広島のインタービジネスに上手く騙されたってことだよなぁ。俺たち。こんだけ、ビッグマウスで大風呂敷広げられたら、そうなのかって誰だって思うよな。そんだけ詐欺的に相手は話がうまい。w」

「幸いなのは、誰よりもその状況に早く気がつけて、子供達に本当に必要な教育手段へ切り替える手を打てたことだよな。」と
ぴかちゅうと二人で苦笑するしかありません。

でも、それも言い換えれば、自分の意識(気)エネルギーの問題です。自分はインフル・コロナにかかって以降、いろいろととちくるいました。京都に移ってから、不動産といい、学校といい、京都の中のまがい物と出くわす、そういう流れの中に入ってしまっていたわけですね。
でもそうした状況で葛藤することで、多くのいらない意識のあぶり出しがあり、最終的には、自分たちはこれでいいんだ、こっちでいく!という、自分の一番納得できる心地よい場所を確認していくことになった....。
良いも悪いもないんですけど、w

それにしても、なんという一年だったのだろう〜〜〜!!

でも、もうこれからはそんなことは来ないような気がしています。
 そしてやっぱり自分は、根っこはコンサルタントですんで、問題があれば、解決のために業界をリサーチしまくり、あらゆるツテを使い、情報を集め、専門家と話し、はたまたこの分野の本質理解につなげて、バイリンガルキッズ分野の知識と判断力を蓄えてこうして成長したわけですので、まぁ、良かった。

 上の娘は、インターをやめてからだいぶ経ってますが、今、インターにいた時以上に英語が上達していますし、それと同じくらい、京都ならではの中身の濃い内容で、漢字や日本語も上達し、日本文化も興味深く楽しんでいます。
 京都は学問の街なので、子供達の体験学習の機会は、東京以上に用意されているうえに、京都大学の講師とかそういう普段は出会えないレベルの学識者が子供向けにワークショップをやってくれたり、安く伝統体験をさせてくれたりするんですよね。

 下の子供は、子供で、気の合う友達を見つけやすくなって(クラスの人数少なくて、友達を選べなかったインター時代より)ずっと笑顔が増えたように感じています。毎日楽しいそうです。
 あと、学校でやってくれる健康診断は、やっぱりありがたいですね。
 在籍公立に行かなければ診断をうけられない手間もあって、子供の虫歯に気がつくのが遅れたり、インターでは健康診断や尿検査を定期的にやってくれるわけではないので、そういうのも見えない不便になってたな、と振り返れば思います。今の公立が東京とはちがって、非常に良い学校ですので、京都市民なら受けられるこんな有益なコンテンツを棒に振ってまで、高額なハリボテのインターに行く必要は全くなかった、となんども思います。
いや、そうでもないか。インターに行ったからこそ、インターの教育エッセンスを理解して手に入れたわけだよね。
 おかげでインターに行かなくても、インターで受けるメリットを、日本の教育を受けながらどうやって手にするかという手段と方法論がはっきりわかったんですから、まぁ、それは結局、良かったんですよね。
 多分、自分の設定した我が子の教育は、インターの設定するIBカリキュラムに、このままたやすく勝てると思ってます。w
それだけ、実学で勉強しましたからね。私は根っこが軍師ですよ。w

雨降って、地固まるんですよ。
今年、癸水の年というのは、雨の年ですからね。w
そのようなことがどの方にも起こってきます。
 はい、はい、自分も自分の宿命の中で、宇宙の気の流れに翻弄されながら、生きてますよ〜!

そして、不満と楽しさとを繰り返しながら、らせん状に人生の次元をあげていっているんだと思います。

そして、体調は自律神経がおかしくなって、日によっては動けなくなるほど落ち込む時があるので、完全にとは言えませんが....
 それまで頼まれていた人を優先して、仕事はしてたんですけど、子供のことが落ち着いてきたので、また徐々に仕事をふやしていけそうだなと思っています。

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