子供の意思をかならず確認する海外教育

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昨日、正式な合格通知と書類一式が家に届いた。
インターナショナル・スクールと日本の教育のギャップをもう、すでに大きく感じている。合理性、判断力が、まるで違う。

まるで異世界のその2つの世界の違いを今、体感している。
例えば、今週、こんな事があった。
下の娘の幼児園は、放課後の器械体操の習い事をやめるためには、1ヶ月前に退会届を出さないと翌月のお金がかかってしまう決まりになっていた。
そこで、慌てて退会届を書いて通園の連絡帳に挟んで提出したら、返答として、「辞める前に担当コーチにそれぞれ話しをしてからじゃないと受け取りません」と連絡帳に書かれて返されていた。

それは園の都合であって、もし提出期限が過ぎたら、親側は、万単位の月謝の損失になる。
理不尽だ〜と思った。

担当コーチだって、スケジュールがあるし、我々親の方にも色々と予定があり、期限も迫っている中、話をする時間をわざわざとって、承諾を得るようなことができない可能性があった。
とりあえずこちらとしてはあとで話すとしても、期限内に、退会届を受け取ってほしかったのだが、そもそも教師が幼児園の規則に縛られているので、受け取ってもらえなかったのだ。
要は、教師が責任問題を回避するため、マニュアル優先で動く。

結局、裁量権を持つ人(園長)に直接話しをしたい、ということを伝えると、受け取ってもらえたのだが、日本の教育機関とやり取りすると、こういうことが多々ある。

一方、インターナショナル・スクールの方は、何が本当に大切なことか、が見えており、全スタッフが結果のためにフレキシブルに動ける。

今回もインターに入学申込書を提出しに、京都まで実際に親が行かなくてはいけない原則があった。
提出時間5分とあったので、考え込んでしまった。

京都へそのために往復するとまた2万以上の出費にもなるし、時間も取られる。そのコストを別なところへ使いたい。

日本だったら、「入学者全員、厳格にルールを守ってもらいたいので」と絶対に融通していただけない可能性が高いが、思い切って事務局に「書類提出は、レターパックではだめでしょうか?」と実情を話したら、状況を知って入学金だけ期限内に納入してもらえれば、とりあえずはOKということになった。
書類はあとでも良い、と言ってくれたのだ。

そしてその日は5分、だけではなく、実際は入学者向けの保護者説明会もあったのだが、我が家が荷物と京都入りしてからでいいよ、と言ってくれ、すぐに個別に説明会を別に用意してくれることになった。
なんとありがたい....

本質的に大事なのは、ルールを厳格に守ることではなく、運営に支障のない範囲で双方がうまくいくアイデアを選択していくということ。

これを実際にこの学校全体が体現していることがよくわかった。
日本の教育機関では、理由がめちゃくちゃなのに、とにもかくにもルールを守ることを優先させられる。
ホッとした。

 上の娘が最近、日本の小学校から帰ってきて、こういうことを言ったのもまた印象的だった。

「あのさ、大寒波がきてるっていうのに、今日校庭で体育があってさ。
半袖・半ズボンでやらされたんだよ。上に何も着させてもらえなかった。
 なのにね、先生たちは、風邪を引かないように気をつけましょう、って、朝礼とかでいうんだよね。一体、先生たちは何がしたいんだろうね。言ってる意味がよくわからない。」

体育は原則、半袖半ズボンでやることに決まっているらしい。

もし、これがインターの先生なら、「寒波がきてるし、無理して外に出る必要もないよね。じゃあ、ちがうことやろう」と提案するか、生徒たちに状況を説明して、本人たちにどうしたいか直接聞いて決めるだろう。
そして、やりたい子だけ参加する、という形にしただろうと思う。

日本の教育がこだわることって、結局、竹槍で米軍と戦って本気で勝てると思わせて、精神力だよりに訓練させてるようなナンセンスなことばかりなんじゃないだろうか。
 ネイティブの教師の合理性を知っている娘は、日本の判断力がない学校集団の中では、アホらしくてやってられない。もう行きたくないと言っている。

日本の学校はおそらく最後になると思うので、そういうのが「日本人のベースを作っているんだ」ということを知る、いい体験として、学年最後まで通わせるつもりではいるので、ピカチュウも私も「最後までなんとかがんばろう」というしかなかった。

でも、インターナショナル・スクールの入学書類を見てもうひとつ、感動したことがあった。
それは、入学書類にかならずある「誓約書」についてである。

自分も子供時代、学校へ入学したときにみたが、日本の学校の誓約書は、学校の方針に従い、文句を言いませんという誓約書を親と学校が交わすことになる。
ところが、インターナショナル・スクールの誓約書は、なんと子どもたち本人の意思確認をするものとなっていたのだ。

そして、それを証人としてフォローする形で、親もサインする形式になっている。つまり、小学校1年生であったとしても、自分の態度と学校との関わりについて、自分で決めて、サインしなくてはならない。
そして、契約した以上、その誓約をまもる、という義務が子供に発生する。

だからこそ、誓約の意味を、ちゃんと親が子どもたちに言って聞かせる必要がある。海外では子供であっても、自分の自由意志が尊重される代わりに、責任が伴う契約社会のスタートなのだ。
 日本の学校の誓約書は、親が結ぶ。子供の意志は関係ない。子供は親の従属物だから、親がなんとかしろ、というわけである。
子供が学校に従うように責任を持つのは親である。

しかし、インターナショナル・スクールでは、自分が出願し、自分が行きたいと決めて、学校へ入学する意思を表明したのだから、そこに責任ももたせる。
親が勝手にやったこと、ではなく、子ども自身が自分で決めて、自分の環境を選んだのだ、という意思確認をさせるのだ。

そして、日本の教育機関は学校の言うことをきくという誓約書を自動的に書かせ、それを当たり前とふんぞり返るのだが、インターナショナル・スクールは違う。

「もちろん、教育の形になにがなんでも従ってくださいというわけではありません。もちろん私達も完全ではありません。ですから、矛盾を感じたり、疑問があったりした場合は、ぜひ言ってきていただきたいんです。そして親御さんと話し合って、最終的に一緒に最良の環境を作り出して行きたいと思っているんですよ。」と総校長がおっしゃってくれたことには、非常に心を打たれた。

日本の私学によくあるように、我が校を受けたからには理由もなく従うのが当たり前、園に従わなければ退学だ、みたいな扱いが当たり前の教育機関になれてきた自分にとって、これは大きな違いだった。
そこまで言われたらこちらだって、誠実に真摯に向き合っていきたいと思う。

「いいえ、こちらこそ、この学校から親も学ばせていただき、私達自身の成長の場とさせていただきたいと思っています。」と私は自然に頭が垂れた。

ひとを大切にする、とはどういうことなのか。
個人を認める、ということはどういうことなのか。

インターナショナル・スクールは、上から下まで、柔軟で責任感を感じられる判断力があり、そもそも学校の動き全体が整合性が取れており、全く矛盾がなかった。

すごいなぁ〜

これまで、日本の教育機関、教育者とはさんざん話し合いをしてきた。
 毎回「本来こうあるべきだよね?」という判断力の原則を教師や園や学校に教えに行かなくてはならないことで苦労してきた自分としては、「ああ、やっと自分の言ってることが通じるところだ....」という安堵があった。

名門お受験校は、合格とともに親に、学校に問題持ち込まずに従うことを成約させる。子ども自身に本当にこの学校に行きたいのかということは問わない。
それは子供に人権を認めてない、と学校も親も認めているような態度だ。

このことを痛感させられた。
誰の人生なんだ?

子ども自身が納得してないのに、あらゆることを自動的に従わせられ、子供が自分の意志を一切通すことができない日本の教育。
これって、人権無視なんだよな。

自分の大事な時期、人生の多くの時間を過ごし、おとなになってからも大きな影響力を与える学校環境を、子ども自身が選べない。
これって、絶対に変だ。
子供がNo!を言えず、自分の意思が通らない教育って、変だ。

そう思った。
インターでは、子供になにかを強要することは一切ない。
例えば、みんなで野外活動をしようということになっていても、クラスの中で、「俺は、きょう、それ、やりたい気分じゃありません。」って言ったならば、その子だけ学校に残ることが許される。

「みんなで一緒に行動しなきゃだめでしょ。」と叱られ、「君だけ特別は許されない」と説教され、そして成績表に「協調性がない」と評価される日本の教育とは全くちがう日常生活がある。

学校のルールよりもなによりも大事なのは、その子の人格や人権なのだ。
意思表明や理由がちゃんとあれば、認められる。

ピカチュウと最近話すのは、このおかしさに気がついた親からどんどん日本の教育に行動でNo!を突きつけたら、日本の変革の一助になるんじゃないかってこと。
 大変だけど、教育資金をなんとかできる層から、さっさと日本の教育をやめちゃって、どんどんインターナショナル学校やIB認定校に流れてしまえばいいんじゃないかって思うんだよね。

「文科省、お前らの考えた頭の良い子供をアホに育成するためのカリキュラムなんか受けさせるか!」
って態度を親の何割かが取るようになったら、他の親たちも、
「え?何がおかしいの?」
って興味を持って気が付き始めるだろうし、結果的に人権意識が高まって、日本の教育を根底から変えざるを得ないんじゃないか。

 時間はかかるだろうけど、気づいた人たちからインターの人権尊重教育を選択することで、日本の子どもたち全体に自由という恩恵がいくことになる行動になるんじゃないか。

そんなふうに思ってる。
もう、日本人は、富国強兵教育を捨て去るときだ。
個人が幸せになるための、生きる知恵を育てる教育へ変容させるための、ほんの僅かな流れの一つを、自分たちは選択したと思って、書類にサインした。


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