物件探し・おまけのストーリー

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京都の子供のインターナショナル・スクールの受験日。
同じ時間帯に面接になったお母さんと開始前にお話してて、個人的な興味から、この学校の素晴らしさは他の人たちにはどのように見えているのだろうか?ということが知りたくて、「決め手はなんだったんですか?わたし、面接官じゃないんですけどねw..」って聞いてみた。

そしたら、そのお母さんの回答は、
「学校の体験入学の時に、子供が始終笑顔だったこと」だった。
「子供時代って、毎日が楽しくてしょうがない時間であった方がいいって思うんです。でも日本の小学校は、辛いことばっかりある。個人の事情が置き去りにされて、集団を優先させられる。そして不都合が起きても、辛いことを努力で乗り越えるのが当たり前。そんな世界に子供をやることが本当に幸せなのかな?と思いました。勉強するのに、苦しいことが多いって、それだけしか学びのやりかたがないっていうなら、本当にそうなのかな?って。」

 一般的に自分の経験では、インターナショナル・スクールに入れたがるお母さんは、東京では芸能人の影響からか、ブランド意識が高い人が多い。

そして、英語は最も親の経済格差がでる科目であり、受験で有利だから。
インターナショナル・スクールは、エリート意識をくすぐるから。
....子供が二つのまったく異質な常識の世界に置かれる特殊性の負担をさして深く考えることもないまま、そんな理由で進学させる親が多い。

このスクールの実態は、もちろんそんな目的にかなったスクールではないので、そういう親が入学希望した場合は、思惑を裏切られることになる。
だから、他の人たちを見て、どういう親がきたのかな、ということは気になった。お受験競争の延長型の親たちならば、一緒にやっていく自信がない。
でも、この反応から、ああ、この人もやっぱりちゃんと学校の本質をわかって受けにきてるんだな、と思った。

 そして、このお母さんもそもそも私立お受験をしようとはおもっていなくて、受けたのはここ、一校のみ。私立の他の小学校をうけるという選択は全くなかったそう。

 私立だろうが、公立だろうが、日本の教育が持つ世界の教育界のなかにおける異質性は、まったく抜けていないと思うからだった。慶応幼稚舎よりも高い学費を払うことになるこの小学校を選んだ理由は、ブランド意識ではなく、うちと同じように明治時代の富国強兵の集団意識から全く抜け出ないまま今に至る、教育後進国・日本の教育システムの中に子供を入れる危機感を直感的に感じているからだった。

そして、悲しいかな。
日本の教育が本質的に変わることはこの先もほとんどない。
昨日も電気屋さんのテレビのニュースが、東京都が全区立小学校の教科担任制を導入すると決めたと報道していた。

正直、文科省はアホなんじゃないかと思う。
教育の根本的な問題は、そんなところにあるのではなく、もっと根本的なもの。日本人の子供にたいする人権意識の薄さから来ている。
日本の大人が上から下まで、子供の発達を科学的に学んで理解したり、子供の人権を認め、こどもにやっていいこと、やってはいけないことがわかっていない、ということがそもそもの問題なのだ。

子供にあらかじめ許可をとることもなく一方的に教師や親がノルマを課し、罰をあたえ、心を傷つけ、プライドを踏みにじり、ランク付けし、権威のいうことをきかせるように調教する。宿題で詰め込まれ、自由時間もない。
これが日本の小学校の実態である。
 人権を大事にされてきたこどもほど、違和感が募り、学校へ行きたがらなくなる。

私たちにとって、その矛盾感を全部払拭するのがこのインターナショナル・スクールだった。このスクールを教えてくれたのも晴明さんだ。
実際、上の娘は学校の1日体験ですでに、
「ああ、最初から最後まで楽しかった!私はあの学校に行くって決めてる。あの学校以外なら、もう行かない。日本の小学校は気持ちが悪い、もう絶対行きたくない。」と晴れ晴れとした顔で言っていた。

下の娘は、受験日当日に、校長先生と友達になり、いっしょに塗り絵をして遊んでいた。絶対に強いる目上には従わない集中力散漫な娘が、この校長先生と一緒にいるときだけ、落ち着いて一つのことをやり遂げていた姿が印象的だった。海外の教師には、子供の発達理解に基づいた高度な教育スキルがある。アーティスト型の自分の娘には、それが合っていることが明らかだった。

あとは学費の問題だけなので、ピカチュウをメルカリに出そうと密かに思案している場合ではない。合格したならば、今までは放置プレイ気味だった奴ともタッグを組んで、子供達のため、卒業までこの学費チキンレース?!に勝たねばならない。(^^;
そうだ、うだうだ泣き言は言ってられない。
子供の心と未来を守るのは親だ!

そして、このスクールに入れるためには、合格したとしても、まだまだ試練はある。日本の教育法の一条校問題もクリアしなくてはならないからだ。

世界のスタンダードであるこの学校と日本の教育の格差の話やインターナショナルスクールのシステム的な話は、まだまだあるのだが、今日はこのくらいにして、今日は、冒頭でテーマにした物件の話の余談に話をもどそう。
これは、ちょっと怖い話だ。

晴明神社と物件の話の中で書いたエピソードの他に、実は一番最初にほとんど同じ間取りと広さで同じ方位・風水的に吉相の、さらに家賃が2万円ほど安い物件があった。

不動産屋さんで「この物件気になったんですけど、写真で見たときに暗いからやめたんですよね。」と話したら、「え?そうですか?もう一度見てみます?」と言われて出された写真を見たら、明るく綺麗な写真が並んでいた。

「あれ?明るいね?なんで陰気だと思ったんだろうな、わたし。」
そこで、自分の先入観が邪魔した可能性もあると思った。
 メインストリートからはかなり外れるがあらためて見ると問題のない物件に見えた。

今回の物件探しで結局契約することになった物件はオーナーが細かいところにこうるさそうなのが嫌だなぁと直感的に思ったので、そういうことにこだわりのないオーナーなら、ここでもいいか。と思って、その物件に一番最初に連れて行ってもらったのだった。

〇〇〇〇◯マンションと言ったら、しっかりした建物のブランド感もあるので、安全とか、古くともそれなりの設備感があるだろうというイメージだった。
エントランスはその通り、問題がなかった。

しかし、物件に入った瞬間、嫌な感じが走った。
「あ、ここはダメだ」と即決で思った。
ここは人生が生きづまる。
この気に絡め取られていったら、まずいことになる。
早くここを出たい。

連れてきてもらった手前、すぐに帰るわけにいかないので、色々見るふりはしたが、結論は決まっていた。これは家賃の安さではない。
ここでなければ、どこでもいい、とさえ思えた。

京都は不思議な街で、1つブロックを外れただけで、エネルギーが様々に変わる。ほとんど同じエリアなのに、二極がある。
その良くない方の場所だった。

そして今回契約した物件の方へすぐさま行ったわけだが、同じ間取り、同じ大きさ、ほぼ同じ町内といってもいいようなエリアで、そこは全く印象が異なっていて、気が軽いエリアにあった。
物件自体も、十分ではないけど、まぁここなら、さっきのよりはだいぶいい。
締め切っていたせいで、随分今は、悪い気がたまってはいるけど、浄化処置できないほどではないと思った。

東京に帰ってから、反芻するほど、あれはなんだったんだろう、という違和感が残ったので、前に不動産を購入するときに参考にした、事故物件サイトを思い出し、久しぶりになんとなしに昨日のぞいてみた。

 あんまり詳しくないのだが、不動産というのは、中で不慮の死を遂げたケースがあると、3年間は公示義務があるそうで、それ以降は伏せても良いことになっている。でも、どんな死に方をしたかによって、物件に亡くなった人の念が残ったり、死んだことがわからない人だった場合、そのままその物件でその死人である他人と同居(同棲)することになることがある。

 死んだことがわからない突然死を遂げた人は、新しい入居者を侵入者とみなして、追い出そうとしたり、自分の部屋で生前と同じような日常生活を続けようとするので、ドアが勝手に開いたり、引き出しを開け閉めしたり、歩き回ったりする音があったり、というような現象が起こることがある。
 そして、過敏な人だと、そこで亡くなった人と意識がだんだん共振してくるということもおきて、同じような現実を引き込んでしまうことすらある。

だから、事故物件は、みんな嫌がるのである。
その一方で、この事故物件をかえって興味深い、と飛び込んでいく人たちももちろんいる。事故物件にわざわざ家賃が安いということを理由に住んでネタにする事故物件芸人なるピン芸人も存在するし、オタキング・岡田斗司夫さんもそういう事故物件に何年も住んでいたという経歴がある。
もっと遡れば、江戸時代のマーケター・平賀源内も、事故物件に興味を持ち住んだ。でも、彼は最後には、幻を見るようになり、殺傷事件を起こして、運を落として亡くなったという逸話がある。
個人的には、これらの人々は、主星・龍高星の方々だったのではないかと疑っているが、波動の法則は誰にでも適用されるので、気をつけていただきたい。

私は過敏体質なので、もちろん、そういうことを興味本位で試したい人ではない。今回、京都のビジネス・ホテルに泊まった時も、朝方、知らないJRの駅を雑踏をくぐり抜けて移動するビジョンや音がひたすら流れて、「あれ、これはなんだろう?」と思った。
自分は通勤はしないので、もちろんこの情景は自分のものではなかった。
 意識がはっきりしてから気が付いたが、このホテルのベッドで寝ただれかビジネスマンの記憶を無意識にサイコメトリーしたために、偶然そういう情景がフラッシュしたのだった。
 残った念ですら過敏にキャッチするということを改めて気がついた。

これが並木さんとかならば、自分の意識で余計な情報遮断のためのコントロールができるけども、自分はスイッチをオフにする方法を知らないので、どんどん情報に翻弄される。
だから、環境を選ばないと疲弊してしまう。
ボディブローのようにきいてくる。
京都はそれでも穏やかで体に優しい。

そんなわけで、東京と比べてはるかに穏やかな京都でも、
ここは絶対ダメだと思った物件は、結局、どうだったんだろう?
そう思い、事故物件サイトを見ると、

はい。
ありました。

内覧したその物件の上階が、事故物件だったんですね。
死因はちょっと良くわからないけど、内装を変えて、借り手がいなくなったせいか、物件を賃貸ではなく販売に出している模様。

やっぱりかー
やっぱり、自分の体感は信じた方がいい。

....そしてこの事故物件サイトを見ると、興味深い傾向があることに気がつく。
ひとつ事故物件があると、そこに連なるようにして事故物件が発生しているという特徴だ。
 最初は事故物件、だったのが、事故物件エリア、になっていくということ。

日本が誇る最強のサイキック、並木氏は、ワークショップで、自分が住むエリアに気遣いすることの大切さをいってた。エリアには集合意識が発生する。世田谷区には世田谷区の集合意識、スラム街にはスラム街の集合意識がある。

そして、その集合意識のエリアの中に入っていくと、ずっと暮らしているうちにその意識に共振していくことになる。
だから、豊かになりたければ、豊かな人たちが住むエリアにちょっと無理してでも住んだ方がいい、といっていた。(本当に無理だとしたら、それは跳び箱の踏み台を作るべく、自分の波動の成長を待つ必要があるということ。)
集合意識の影響力は非常に強いので、俺は平気だと思ってスラムに住んだとしても、影響はされてしまう。ツキが回ってこなくなる。
これは、実体験をしてもそう思うし、何人もの成功者が語っていたことでもある。住む場所は大事だ。

ちなみに実学算命学では、職場や住環境からの影響が及んでくるのはだいたい3年、同性相手や両親など、同居している人間の気のダイレクトな影響が抜けるのは、10年を目安にして、プロファイリングしている。

 そんなわけで、事故物件が一つ発生したなら、オーナーさんは片付けだけすれば良いわけではなく、実はその不動産の見えない世界の浄化にもお金を払って処置しないとならない。そこをケチると、物件の価値が下がっていくことになるかもしれない。
 同じものに惹かれてこのエリアにあつまった住人だから、同じ意識を共有している可能性があり、環境変化によってドミノ式に同じことが発生するかもしれないからだ。

京都に関して言えば、またまた興味深いことに、古来から結界を重点的にはってきた、京都の上半分は犯罪件数が少ない。結界が薄くなる下半分や郊外になると犯罪件数は増えてくる。

一方、東京は、転出者よりも転入者が万単位で圧倒的に多くなってるみたい。
こういうのをみながら今、見えない意識の働きによって、人口の大移動が起こっていると思う。
 というのも東京で見積もりを取った引越し屋さんが、驚いていた。

「実は、オタクで京都行き、今日もう9件目なんですよね。最近ほとんどが関西方面や京都行きで、首を傾げてるんですよ。」
「京都に何かあるんですかね??」

東京から離れようとする一団と東京へ流れ込む一団とがいる。
こういうことが起こるときには、時代のながれがかわる大きなことが起こる前触れであったりもする。地震の前にネズミが大移動するようなものか。
京都と並び隠れたスピリチュアル・シティ・福岡にも人の流れがあるようだ。
時代の変わり目がいよいよ見える形で起こるのかもしれない。


こういう見えない世界にリスペクトしながら、見える世界を動かしていくということが、風の時代の大事な前提意識であると思うので、
今年、大きな切り替わりの前に、移住・引越し、環境変化がすでに起きている人が多くなっている今、住まい探しの参考になれば幸いです。
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