親が子供の意識世界を創り上げる

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昨年の手術の影響で動かなくなってしまっている体のリハビリ的な意味で、近頃、プロアスリート向けのストレッチング・マッサージをやってくれるところに通い始めたんですよね。

で、その日、ピカチュウはママ友軍団と連れ立って、幼児園のイベントに出かけて行ったため、上の娘を一人で留守番させるわけにいかないし、とそのマッサージに一緒に連れて行ったんですよ。

娘は本気でバレリーナになりたいと考えているので、こういう世界を目にしておくことが何かのヒントになるかもしれない、とも思いました。
これまでも、上の娘には様々な業界を体験させたり、見せたりしてきてて。
 いま、擬似的な体験はそれこそたくさんできる時代じゃないですか。

だからそこで満足して終わるのではなく、逆に生の体験をする、ということにお金をかけることが重要だとも思ってるんだよね。
まぁ、お金かけなくても、親の出かける場所を通して、その業界の大人と話をすることや親がどんなやり取りをしているのかを見せること自体が大事な勉強。いろんな業界見る機会をもってたら、キッザニア行く必要もないんで。w

そして、上の子供は、バレリーナだけではなく、自然科学者や医者になってもおかしくない宿命なので、体や医療の世界、自然界を意識的に見せるようにしてます。玉堂星は、伝統世界とのご縁があると同時に、王道の学問の世界とのご縁を示すので、どっちに進むかは実際の知能がどちらに向いているのか次第でもありますんで、うちはそのとき、娘が自分で将来を選べるように、小さい頃から体験を通して、将来の世界の扉をひらいておくことにしているんですよ。

それは、下の子供に対してもそう。
下の子は、禄存星が生きがいです。そして人前に立つ宿命要素をたくさん持っています。まぁ、ほぼパフォーマーとして生きていくだろう、と思います。
実際、科学的な脳の適正検査でも、そうした生き方が向いていました。
なので、パフォーマーとして必要になるだろう素養を身につけるための習い事ですし、本人の宿命や適正にあっているので、非常に喜んで通っています。
 この間は、娘の友達・片腕の俳優さんが、舞台を行うというので、大人の難しい内容の劇でしたが、娘を連れて池袋に見に行ってきました。
お客さんが満員でもせいぜい30人くらいしか入らない小さな劇場です。
それでも、こういう文化を大切にするひとたちが集まっていました。

「せんそうってなに?」「このおと、なに?」(効果音として使われた、爆音に対して)など、どんなお話だったのかは、彼女にはさっぱりです。

でも、身近な人が、舞台に立ち、演じる。
これは、良い勉強。
自分の心のハードルも下がるでしょう。


その時、出演した俳優さんは、テレビのなかでもたまに見かけるような方もいて、そのひとりが俳優座の天野眞由美さんでした。
このかた、すごかったんですよ。

一見普通のおばあちゃんに見える。

ところが、演じたとわからないくらいの自然さでこの人が演じると、瞬間、連動して周りのエネルギーが大きく動かされるんです。観客のエネルギーを変えさせられる。
そもそも、優れた俳優さんというのは、演じる役の型をただそれらしくなぞる人のことを言うのではありません。優れた俳優さんは、演じる技術の中で、実際は太極拳のように、周りの人の気を自分の気で動かしているんです。

これは、バレエであっても一緒です。本当に優れたダンサーは、見る人の肉体の周りのエネルギー体を動かしてくる。だから、自分の身を取り巻くオーラがうごかされたことによって、言葉もストーリーもわからないの観客には鳥肌が立つ。
舞台に立つ人の、うまい・下手、って、実は見えない世界から言わせていただくと、そう言うことを言うんです。
だから、美輪明宏さんは、演じるということは、憑依に近いのよ、っていっていました。女優(俳優)は、霊能者と一緒。って。

霊能者の憑依現象にも色々あって、自分の体に憑依させている間、自分の意識が消えて、何をやったのかわからない、というイタコみたいなのもあれば、自分の意識を消さない状態で、自分の体を見えない存在に貸す、という状態もある。
そう言う場合、霊能者は本当の自分の意識がちょっと脇にそれて立ち、肉体の自分を別な場所から眺めているような感覚で存在しているといいます。

女優(俳優)さんと言うのは、後者の霊能の方。
いつでも、出入りさせられる。ようするに俳優業の訓練によって身につける技術というのは、見える世界の技術だけではなく、実際は見えない世界と交信できる体作りなのです。
天野眞由美さんは、それを体現している舞台女優さんでした。

もともと舞台を演じるひとというのは、歌にしても踊りにしても演じるにしても、すべて神の前に捧げられたものです。高次の存在との交信で生まれてきたものですから、当然といえば当然です。
エネルギーの取り扱いが上手な人ほど、優れた歌手であり、優れたダンサーであり、優れた俳優さんなのです。

だからね、神田沙也加さんや香川照之さんを別な視点で見てみると、ご家族やご友人の思いとか、または被害に遭われた方には本当に気の毒ですが、職業病=憑依、だったのだと思います。
とくに香川照之さんは、悪役が非常にうまい方です。桁違いの悪、低俗な人間を演じさせたら、まさにこの人にかなうものはいない、と思わせるだけの、すごい悪役俳優さんだと思います。
演技を磨くということは、その悪のエネルギーを自分の肉体に憑依させて発揮させるわけですから、もしもそこでなんらかの精神的な隙があって、自分の体の主導権を奪われてしまったとしたら、何をやらかしてしまうか。
それはご想像の通りなんです。
ですから、美輪明宏さんは、「俳優は、絶対に自分を外側から見る視点をうしなった演技をしてはいけない、危険よ。役になりきったら絶対にダメ。」とよく仰られていました。
沙也加さんも、香川照之さんも、自分に戻る時間をしっかりとって、自分の心の疲れを我慢せずに、自分がちゃんと気がついてあげなくてはならなかったんです。

今回の舞台で初めて目の当たりにした女優・天野眞由美さんは、すごくシンプルなかたでした(おそらく、普段はピュアで天然な方なのだとおもいますが)。白いキャンパスのように何色にでも新しく染まれる。そのために自分の中心を知ってる。そんな印象を受けました。巫女さん的なものを感じました。

キムタクは、何を演じてもキムタクで、作品はキムタク・ブランドに染まります。でも、この人は「自分」の色を、作品を演じる時に出さない。
 芸能の原点ってこれだよな、とおもいました。
一方、テレビの俳優さんは「アイドル」なんです。アイドル=偶像です。
自分がカリスマの神となって自分のエネルギーを振りまき、檀家さんに支えられ、自分の宗教の信者をつくるようなものなので、芸能=神事の俳優業とはちょっと違います。
 そういうのにちょっと飽き飽きしていた自分は、ちいさな劇場である意味、やるほど赤字になるんじゃないかっていうような自主公演的なことをやってる俳優さんたちにふれられたのは新鮮な体験でした。
 とくに天野眞由美さんの演技は、「世の中、大根俳優ばかりだ」感じるあまりテレビを見なくなってしまっていたのに、「そんなひとばかりではない」と価値観に修正をかけてくれました。

だから、生って大事だなぁと。
画面を通してみるよりも、同じ時空間を共有するほうがよりエネルギーが大きく動かされていきます。この大切さを理解しないと、あらすじだけわかればいいや、とドラマを倍速で飛ばしてみたり、ネタバレサイトで満足したり(←私ですがw)、する人間ばかりになってしまうのだと思います。
 理解するには、違いを知っていること。生の素晴らしさをちゃんと味わうこと、ですよね。

オンライン公演が多くなった昨今、やっぱり生はちがう、臨場感が違う、と満足したのでした。(過敏体質なので、ストーリーのエネルギーに振り回されて、ちょっと疲れもしましたが。)

 娘も、あの劇場の雰囲気と俳優さんたちの演技を、雰囲気で自分の感性の中に刻んでくれたと思います。自分の友達(といってもなんと彼は40歳ですが)が、舞台に上がる、ということで、演じることは特別なことではない、と自分のやりたいことをするうえで心の中にハードルを作らなくて済むと思うんですよね。2歳の時には「世界のダンサーになる」と宣言した娘。3歳の時からバレエ教室の前から動かなくなった娘。
 普段はシャイなところがありますが、6歳の今、みんなが自分を喜んでくれる舞台は大好きだといいます。
 バレエの他に、器械体操と、音感づくりと音楽の下地になる素養を育てるために鈴木メソード式のピアノもやっています。

 こどもというのは脳が発達する時期に、しっかりと必要な刺激を入れてあげないと、あとは本人がたまたま好きなものをやれる環境と幼い頃に出くわしているかどうか次第になってしまいます。臨界期前に発達を促しておかないと、本人のやる気だけでは、ある程度のところまでは行くけれども、成長が終わったその先で、肉体の土台の限界を感じてしまったりもします。

だから、子供の特性、特質を早くから知ることって、とても大事なんですよ。そして向かないことをやらせるのではなく、向いていることを早くから取り組ませてあげられること。
これがね、風の時代の子育て・子供の教育なんですよね。

 昭和の教育のように、高い学歴社会の世界で立身出世させるために、(そういう宿命の子供なら別ですが)好きでもないのに子供の楽しい時間を奪い、お塾に入れて、曲芸的になにかを教え込むことは、この令和の時代には、時代遅れすぎて、もはや子育てでも教育でもないんですよね。

竹は竹。松は松にしかなりません。
親がどんなに、どう頑張ったって、子供が最初から決めてきた、子供の人生しか送れないことは決まっているんです。
なりたい自分になれよ、って手助けするしかないですよね。

子育てにカルマがあるピカチュウは、親を反面教師にし、自分の育った環境とは違う子育てをするという宿命です。「親は子供のやりたいことを環境的に手助けするだけの存在」という方針を貫いているので、基本的に「子供に我慢させるな」という教育法です。
 で、このピカチュウの「我慢させない教育」というのは、実は、事業家タイプの脳のこどもの育て方なんです。(なので、すべての子どもに通用するやり方ではないということを前置きしておきます。)

 事業家タイプの脳というのは、本田健さんであったり、ひろゆきさんのようなちょっと日本人離れした特性を持つ人たちのタイプのひとたちです。とくにひろゆきさんは、典型的な事業家脳といえると思います。

 こうした特性をもつひとは、基本的に興味のあること・好きなことしかやれません。我慢力が通常よりも足りないので、会社員には向きませんし、日本ではADHDにも間違われます。たとえ、一見立派な会社員をやっているようにみえても、本人的にはかなりの無理をしてやっている。
 こうした特性を持つ子供たちは、普通の日本の子供たちとは育て方がぜんぜん違うし、日本の常識的な教育法の真逆を行くような教育法でないと、うまく育たないんですよね。

 そしてこれを知らないで、事業家脳のこどもを育てたら、大人になってからが大変です。そして、この子供たちを取り扱う大人の方の自覚もいります。
なので、実学算命学のご依頼の中で、その測定をお勧めする場合もたまにあります。ピカチュウと下の娘は、そんな事業家タイプの脳。だから、うちは「生活上大事な基本的なこと以外はほとんど我慢させない教育法」なんです。大事な部分は抑えてますが、周りから見ると甘やかしに見えますよ。w

で、通っている、ストレッチングの話に戻ります。
ストレッチングのトレーナーさんは、もともとプロ野球選手としてのスタートに立ったところで、難病をかかえる、という挫折感を味わった人なのですが、最近もなんか人生を1ヶ月悩みプチ鬱だったんだそうです。
が、上の娘を連れて行った次の週にこう言われたんですよね。

「Jemmyさん、先週、娘さんにあったおかげで僕ね、すごい今、happyが続いてるんですよ。そしたらツキも向いてきた感じで。」
「えっ?」って聞き返したら、

「先週、娘さんの一週間のむちゃくちゃ忙しい習い事の話を本人から聞かしてもらったじゃないですか。でも本人の話ぶりや反応が普通の子供じゃないくらいアウトプットがすごくて、本気でこの子は好きなことしかやってない人生なんだっていうのが、めちゃくちゃわかったからなんです。」

「人間、好きなことしかしなければ、こんなに元気一杯で一点の曇りもなく毎日暮らせる可能性を持つんだって、娘さん通して気付かさせてもらいました。
なんか僕自身もそういう人生でもいいし、僕はそっちのほうがいいな、向いてるなって強く確信できたからなんですよ〜。」

娘のパワーで停滞期を抜け、鬱はなおってしまったのだそうです。

おんなじことを、他の大人たちからもいわれたことがあり、なんと上の娘には、ローカル・ラジオ局で「ラジオ出演してもらえないでしょうか」って話もきたりしててw。
この間、「事務所がわりにお母さんに直談判したいんですけどw」って言われたんですよ。w親からすると、ピーチクパーチクの単なるおしゃべりかとおもうんだけども「彼女の話はすごい。」「お子さんたち、ちょっと普通の子供とは違うので、非常に面白い。」といってくださる人たちがいて。
家に帰って報告したら、「マジか〜!w すげえな!アイツら。」とピカチュウも爆笑してしまったのでした。

 でね、
この間たまたま、向井千秋さんの若い頃のトーク番組の録画をネットで見たんですよ。「ああ!この人、うちの娘にやたら似てる」と思いました。

向井さんは車騎星で、娘は玉堂星なので、性格はちがうものの、この動画で向井さんはこういう趣旨のことを言ってたんですよ。

「みなさん、これだけ大変なことをよくやり抜きましたねっておっしゃるんですけど、わたし、過去を振り返って、努力したり、辛かったりした記憶って実は、まったくないんですよ。医者になる時もそうなんですけど、どの体験も訓練もすべてが楽しかった!って、そういう記憶しかないんですよねぇ〜信じていただけないんですけど。」

 人生にたいして、上の娘とまったく同じ感想なんですよね。w

 正直、わからんひとには娘の習い事の山や挑戦を見て、すげぇ教育ママ・パパって、指さされると思うんですよ。
前のバレエのおばあちゃん先生には、怒られたこともあった。

 でも、すべて本人がやりたい、やりたいって言って、始めたことで、やらせたことは一つもなく、どれも本人が楽しいからやめたくない、って言ったことだらけで増えていったことだらけ。
結局、幼稚園から何から全て、娘が実際に自分で見学してみて、自分で決めたことなんで、なにひとつ我慢してないんです。
好きなことだから、よほど体調が悪い時でない限り、本人から休みたいときいたこともないというか。

毎日どの習い事からもキラキラして帰ってくる。

宿命に向いたことを徹底的にやる、好きなことしかやらない子供時代を送った人というのは、先入観や人の目という重石がないので人の何倍もやれちゃう、結果その世界を極めちゃう、ってことなんだと思うんですよね。(特に天将星なので)向井千秋さんもおなじようなキッズだったのだろうな、と思います。

 そういうことも踏まえて、実学算命学でたくさんの方のご相談を受けていて、ひとつ、自分が言えることがあります。
 ひとが生まれてこのかた、好きなことしかしてない子供時代を送っていたら、毎日楽しくて、たまに不満は起きたとしても、大人になってわざわざ苦しむほど悩む出来事なんて遭遇しないにちがいないんじゃないか。ってこと。

 つまり、自分のやりたいことが大人になってわからなくなった人というのは、子供の頃、たくさんの義務を背負わされ、我慢させられ、制限されることが当たり前の家庭環境で育った人たちなんですよね。

そしてそういう子供の親は、実は個人的な問題をもってて、コンプレックスの塊であることが多い。そのコンプレックスを土台にして、子育てをしてしまうので、その子供が歪みを背負ってしまい、大人になってから道に迷ってしまうんですよ。

もちろん、親は子供に良かれ、とおもってしてるつもりです。
「でも本当にそうなんですか?」って突っ込んで尋ねると、自分のような嫌な思いを子供にさせたくなかったから、とか、子供の頃自分がこれがやりたかったけどやれなかったから、とか、習い事先の先生の前で恥ずかしい思いをしたくないから、というような親の個人的な理由からだったりするんです。
つまり、子供がしたいこと、子供の意思に沿ったものではないんですね。w

でね、悪いことに、そういう場合、親が自分の問題を解決しない限り、子供への余計な干渉は続き、子供は自分を生きられなくて、息苦しくなるんです。
それがゆきすぎて、そんな環境で育つと、子供は自信を失い、だんだん社会でうまくやれなくなってしまうんですよ。
そして、ひどい場合は、燃え尽きて、精神科に行きます。

 算命学で言えば、これを一番やってはいけないのが、自分の「天中子」に対してですね。
天中子は、親の天冲殺中に生まれた子供のことです。そして、自分の大運天冲殺で生まれた子のことも、大運天中子と言います。
 親のエゴイスティックな意識を拭って綺麗にしなければ、いかに手をかけて育てても、うまく育たない子供です。

でも、どんな子供であっても、結局、この仕組みは同じです。
 本当は色々な追い風がふくのが当たり前の自然界のなかで、親や教師という不自然な存在が行った不自然な制限を、意識の中に刷り込んでしまう仕組み。

そうやって親から余計な制限が子供の意識に刷り込まれて、子供はそれが世界の基準になってしまうので、6歳になる頃には、「それが世の中だ、世界だ」って、自分からきめつけてしまうようになるんです。
 大人になると、その意識が体験によってフォーカスされて、どんどん強化されるので、ますます行き場がなくなり、結局、親の価値観に閉じ込められて、苦しくなっていく。

そういう大人が、世の中にいっぱいいるんですよ、日本には特に。

これは、だれもがそうなんですけど、だからこそね、
「今自分が、当然だって思ってる考え方って、実はどこからきたのかな?」
って、ふと立ち止まって振り返ってみることは、自分にとっても周りにとってもすごく良いことなんですよね。

元々の自分のものなら持っていけば良いし、自分のものでない、不必要なものならば、そんな価値観は捨てていけば良い。立ち止まって断捨離するのって、大事。
成長するということは、親の作った狭いこころの柵を自力で破り、自分であらたな境地を開拓していくことの連続なんですよ。
親(常識という刷り込み)の作った基準に、自分から自己価値観や自己評価をあてはめて、そのなかで一喜一憂しながら、一人相撲して優劣を競うことなんかじゃないんですよ。

だから、ひとには原点に帰れる場所があると良いですよね。
そして子供が原点に帰れる場所は、家庭ですんで。

 結果を出さなくても出しても関係なく、ありのままでうけいれられるし、安心していられる場所がある。自分を見守る温かい目をいつも感じられる。
うちの娘たちは、基本的には「家庭」っていうのをそういう場所だと、なんかよくわからないけど、そう思ってくれてるらしい。


 前回の有料記事で、周りの期待に色々応えなくては存在できないようなプレッシャーをかかえさせられ、子供の頃、家庭に居場所を感じられなかったであろう、仁さんの宿命のお話を書きましたが、仁さんにとっての心屋塾は仁さんの枠のない真の「家族」であったと思いますよ。ほんとはね。仁さんが気づいているかどうかはともかくね。

いかにこどもと楽しく過ごせるようにするか。いかに子供に安心して暮らしてもらうか。そして誰かが犠牲になって成り立つような家庭は作らないこと...アイデアで乗り切る。
これが大事だよねぇ〜(鳳閣星な気分で言ってる。)

夫婦の関係も男女じゃなく、「家庭」を作ろうとしたんなら、お互いがありのままで変な期待をし合わないまま、安心して心地よく暮らせる子供のような心境になれる場所だと居心地よくて長続きするかもね。

なかなか難しい時もあるけどね。
いろいろブレまくりながら、最近思ったことを書いてみました。
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