目の前のトラブルを理由で判断しない視点のはなし

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ブログを登録してくれるかたが毎日何人もいるので、コンテンツが必要としている人に届けられているのだな〜と、とても嬉しく思っています。登録してくれて、本当にどうもありがとう。
 お礼に以前、友達にいただいた龍の写真アップしました。これ見た時、ほんとに龍っているんだと思ったな。見たひとに、とってもいいことが起き続けるので、今日も読んでくれている方に、素敵な気づきがあるといいです!
(・・って、なんだか斎藤ひとり氏のまるかんみたいなことを言っているよな・・自分ツッコミ(汗))

さて、今日は算命学というよりも、実学算命学の話です。
万象学はそもそも古代中国大陸の(おそらくそういうのが把握できる)人が作った、3次元のエネルギー世界の法則を紐解いた学問です。
(これを説明したいんだけど、動画がまだできあがってなくて・・)

万象とは、自然界の、という意味だと算命学では説明されますが、正確には3次元世界の、という意味です。
なぜそう思うか、という根拠ですが、・・う〜ん・・実はこれあんまり話したくないな・・。でもせっかく読んでくれてるから、話そうか・・。
信じるか信じないかはあなた次第(都市伝説級)なのですが、20代の時、私は目の前の人を見ると、もう一つの目っていうのかな、スクリーンにシンボルやビジョンが浮かぶという「体質」でした。

でも見せられたところで、何を指してるか直感的にわかることもあれば、わからないこともある。とにかく現実には存在しないはずのものに翻弄されて人生が混乱していた時期で、こういうの消したい!普通の生活を送りたい!と焦っていて。自分で精神科の可能性調べたり脳の検査も受けにいきましたね、あの時期は。・・確かに箱根神社の龍に言われたように、自分の感覚が信用できなかったので、確かに振り回されて土台がグラグラしていた。

でも、算命学を学んで、そこで、まわりのひとの宿命を見たとき、自分が見えていたシンボルが何を表していたのか知ったんですよ・・。
例えばですね、会うたびに黒い蛇が見える子がいた。
宿命を見たら、癸水の巳の日干支だった、というようなことですね。
 水気のカラーは黒なので、彼女のエネルギーをそういう形にあらわして、何かがわたしに度々教えていたわけですよ。圧力釜の絵が見えた人は、宿命が抑圧されやすい並び方になっていた。木が干上がって、乾燥した土が見えた人は、宿命で水の気が少なかった・・。
 ええ〜・・なんだよ、ちゃんと意味があったのか〜と驚きました。

で、不思議と鑑定学校に入ってからは、日常的にそんなものが視えることはなくなったのですが、代わりに正規の鑑定学校で技法を学ぶたびに、「これ、知ってる、知ってる」と初めて学ぶことなのに、算命学の用語や言葉は知らないけども、用語さえ頭の中で一致すれば、すでに全部わかっている感があったという・・。なんだかあやしい生徒。w

そして、鑑定学校2年目だったかな、ある晩、またもや、谷に立っている自分の生々しい夢を見た・・。崖下に陣形をとる膨大な数の兵士が見えて、陣頭指揮?をとっている自分だったんです。(←そんなに偉いかどうかはわかんないけど、ただの指令係かもしれないしね〜)
 ただね、普通の夢じゃなかった。今でもおぼえてるけど、その時の空気や甲冑の感じ、重さ、音・・とにかく全てが本当に現実に体験したかのようだったんです。起きてもその感覚がいつまでも消えなかった。

あ〜ここは、中国大陸のどこかだ、と思いました。
そして、これは自分の過去生だと、疑いもなく思ってしまった。
それまで中国に行ったこともないし、中国歴史映画や三国志系のものもほぼ触れたことすらなかったので、ビジョンは完全オリジナルで。(その頃までは中国については、ラーメンマンくらいしか興味を持ったことがなかったです。)

そうか、自分は過去、この学問を使っていたのか・・。
そう確信したんですよね。
それからですかね。自分は知ってると感じるので、鑑定学校の先生の授業に違和感がどんどん募るようになっちゃって、(ごめん、先生。)いや、これはそういう解釈じゃないはずだ、とか、ここはこの説明だと矛盾が生じる、とか葛藤していくようになってしまったんですよね。

だからって、自分が正しいという根拠にはならないので、ただそんなことがあったというエピソードとしてのだけって、つもりで聞いて欲しいんですけど。
まぁ・・でも、その感覚に照らし合わせていくと、その裏付けのように、インドの空間移動もするような聖者やヒマラヤの聖者さんなどから言われることが、その「知ってる」感覚とぴったりと繋がるわけなんです。

 それで、あ〜やっぱり、自分の中にある算命学の考え方は合ってたんだ、と(勝手に)思ったんですよね。おそらく同じ算命学とは思えない解釈法になっていくので、やっぱり前置きしたほうがいいかなと。要は、そういうわけです。もしかして、算命学の一子相伝がまだ現代でも続いていたら、打首か、私はたちまち師匠から破門ですかね・・・w

それでね、今日のテーマに戻ります。
人間関係のトラブルってよくあると思います。依頼人の話は、大概、「〜さんがこうしたから私が〜して、それなのに〜さんは、こういうことをやってきて・・もう信じられない!」という話になっていくんですよね。

で、そういう時にね、考え方として、「〜さんがどうしたこうした、」っていうことの前にね・・、まず気がついて欲しいのは、双方の意識のエネルギーグリッドの中では、それが現実のトラブルとして起きる以前からすでにそのトラブルを必要としている状況があった、ということなんですよ。
(意味わかんないですよね、きっと。)

肉体というのは、エネルギーを受け取る精密機械みたいなもんなんです。エネルギーを感知すると、感知したことを知らせるために、意識のなかに感情が発動する。そうすると人の中に「感情」というものが生まれるんですよ。

感情というのは、そもそも存在していないです。エネルギーの種類を肉体が分類して、意識に教えるためのサインとして発するブザーみたいなもんなんです。実際に存在しているのは、感情でなく、ただ「気」エネルギーなんです。

そして、そのエネルギーがあふれてくると、ひとはそのままでは混沌としてしまうので、交通整理が必要だと感じてくる。
理屈や道理を使い、判断して、理性的に自分の意識の中で整理整頓する必要が出てきます。エネルギーを動かすためには心の中でハンドルが必要ですからね。
そして、居心地のよくないエネルギーを理屈で理解しようとすると、本質は見えなくなる。それが人に語る「トラブルの理由」や「言い訳」に変化していくからです。
ざっとこんな流れ。

環境のなかで、あるエネルギーにふれる
肉体が感情に変換
感情の交通整理のために理性(理屈や道理、比較など)が使われる

の順番ですね。
算命学で言われている陽占というのは、この働きを図式化したものなんですよ。だからね、それがプロファイラーの中でちゃんと理解されていれば、理由を聞いて、「いやぁ、そいつ、悪いやつですね!」「ひどい目にあいましたね」といったように、感情移入して、それで判断することは絶対ないんです・・。
Jemmyが、普段、もしかすると、ある意味で冷たく見えるのはそのせいです。

鑑定学校ではね、確かに初学で、鑑定時、よく依頼人に感情移入してはいけないとか、客観的な目で冷たい頭で理性的に鑑定しないといけない、とか言われています。色つけてみてはいけないってことですね。
でもね、それはほんのちょっとだけ違うと思う、と思いました。
そもそも、客観的になんて、ひとは誰もなれないんですよ。

なにをもって絶対的な指標を持った鑑定と言えるのかって、思うじゃないですか。自分もエネルギーや感情を受け取る肉体を持っているわけなので。鑑定士さんのフィルターを必ず通しているわけですから、客観性なんていくらでもブレますよ。
つまりね、自分が客観的だと思い込んでいることは、別な角度で別な人からみたら全然客観的じゃないわけなんですよ。w
だから完璧はありえないです。
それを踏まえたら、学校が、根底に人間愛を置くことすら否定するのは、言いすぎな気がしていて。それで言われた通りに、わざとバッサバッサと人を理性だけで切るような鑑定をするひともたくさんいたり。
でもそれって、誤解だなぁと。・・なんで先生は、型から入るような、そんな無理を生徒に言っちゃうのさ。w・・と自分は違和感が募ってたわけですよ。

実学算命学では上の通りです。
全ては「気」が先にあるんです。
だから、結果としての理屈や背景、その人なりの思いの前に、プロファイリングしながら、その時どんな「気」が働いたのだろうか、と考えるんですよ。
そういう視点で見ていくと、自然と冷静にもなれるし、表に出てないような見えてくる構図がある。

この人は、言葉上は謝っている。誤解や言葉の言い間違いを理由にしているけれど、実際はそうではないな・・とかね。
具体的には、こんな感じの思考が走ります。

相手が同じ日干支か。もう一人が空間で同じポジションに上がってきたために、常にライバルがそばにいる宿命のこのひとは、これまでの経験から危機感を感じて、相手をエネルギー的に蹴らなければ、心の安定がなかったんだな・・。そこで状況を動かすべく、戦争を勃発させるために、火種を投入してきたわけか・・ふん、ふん・・。よくあるよね。
ってことは、「仲良くしたい」って表面では話してるけど、実際は違うな、ポーズが必要だからだな、と頭の中でストーリーがよぎるような感じ。
もちろん、相手の人格とは関係のない世界です。エネルギーの中で起きている現象を追っているだけなんで、依頼人を否定も肯定もしない。だから感情があまり働かなくなる。だからね、・・客観性をもてといわれなくても、なんの学問なのかを理解していれば、そういう状態に自然となりますって。

私だけではなく、ご自分の流派をもっている先生方は、必然的にそうなっていると思いますw。
まとめると、全てのトラブルは、誰が何をやったかがトラブルの本質ではなく、トラブルはそもそも互いのエネルギー的な居心地の悪さを解消するために起きているトラブルな訳なので、本人が語る理由それ自体は、エネルギーの「痕跡」であって、本質ではないってこと。

だから、優れた鑑定士さんは、大抵は環境を変えることを勧めますね。
算命学が宿命と環境の一致が開運の第一歩と教えるのは、原点であるエネルギーを変えなければ、現象は変わらない、とわきまえているからなんですね。
自分が変わるんじゃなくて、まず触れるエネルギーの方を変えちゃうんです。
並木氏は自分のエネルギーを変える方をお勧めしていますが、私の見解だと、結局のところ、両方の動きが必要です。環境と自分を動かす。これでまたスムーズに流れていきます。

意味わかんないかもしれないね・・。Jemmyが変人と言われる所以です。
今日はすっかり長くなっちゃった・・。
ごめん〜!w
とにかく、読んでくれてありがとう。















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