令和2年司法試験刑事系第1問(刑法)の検討

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学び
※本記事は,令和2年8月27日に作成したものです。

第0 はじめに(ざっくりとした感想)
 設問が複数設けられているにもかかわらず,配点割合が示されていないことはいつもどおりです。
 ただ,個人的に衝撃的だったのが,乙が出てきません。甲しか出てこないため,共犯を書くところがありません(一般論としては,例えば甲とAの共犯などがあり得ますが,実行行為者が甲しかいないので,共犯を検討する実益がありません。)。僕の記憶では,共犯は毎年必ず出題されていたように思われますが,共犯を問わないというのは驚きました。
 問題としては,わりとオーソドックス(毎回言いそう)で,聞きたいことがわかりやすいような問題という印象です。
 ただ,検討すべき行為者が1人ということもあって,1人にしては少し複雑なので,落ち着いて分析することが必要だと感じました。
 配点割合は不明ですが,検討すべき事項の数や問題文の雰囲気からして,設問1が25~30点くらい,設問2が15~20点くらい,設問3が50~60点くらいではないでしょうか。

第1 設問1
 設問1は,「以下の①及び②の双方に言及した上で,【事例1】における甲のBに対する罪責について,論じなさい(特別法違反の点は除く。また,本件債権に係る利息及び遅延損害金については考慮する必要はない。)。」というもので,具体的な立場の指定として,「① 甲に成立する財産犯の被害額が600万円になるとの立場からは,どのような説明が考えられるか。」,「② 甲に成立する財産犯の被害額が100万円にとどまるとの立場からは,どのような説明が考えられるか。」と指示があります。
1 検討すべき罪名の特定
 【事例1】は,Aから本件債権の回収の依頼を受けた甲が,債権額を水増しした上,自らを暴力団組員である装ってBを脅し,600万円を甲名義の口座に送金させたというものです。
 甲は,債権額及び自らの身分を偽っているという事実があるものの,Bは,甲に脅されて「畏怖した結果」600万円を送金していることから,恐喝罪(249条)を検討することになると思います。
 次に,甲は,現金600万円を現実に交付させたわけではなく,600万円を甲名義の口座に送金させていることから,1項恐喝とするか2項恐喝とするかが問題になりますが,現金600万円を現実に交付させた場合と同様に,1項恐喝を検討すれば良いと思います。
 そこで,甲のBに対する恐喝罪(249条1項)の成否を検討することにします。
 なお,前記のとおり①及び②として具体的な立場について指示がありますが,問いはあくまで「【事例1】における甲のBに対する罪責について,論じなさい」というものなので,甲のBに対する罪責を検討する中で「①及び②の双方に言及」するという形式にした方が良いと思います。
2 構成要件の検討
⑴ 「恐喝して」
 「恐喝」とは,財物の交付に向けられた暴行又は脅迫をいい,その程度としては,人を畏怖させるに足りるものであると解されています。
ア 「財物」性の検討
 まず,簡潔に,600万円を自己名義の口座に振込送金させることが「財物の交付」であることを論じると良いと思います。もちろんこれは「財物を交付させた」という要件においても検討すべきことですが,そもそも行為者が意図している行為が「財物を交付させた」という要件を充足するものではない場合には,その行為は,財物の交付に向けられたものとはいえず,仮に財産上の利益を得ることに向けられたものと認定し得る場合には,2項恐喝罪を検討すべきことになります。この検討は,罪名の検討の段階で行うべきものであり,検討する罪名を決定する時点で必然的に行っている検討ではありますが,確認的に簡潔に論じた方が良いと思います。
 具体的には,自己名義の口座は,名義人が自由に出し入れすることができるものであることから,現金の取得と同一視することができ,自己名義の口座への送金は「財物」の「交付」に該当し得るものだと解することができます(と言いつつ,ぶっちゃけ論じなくても良いと思います。)。
イ 当てはめ
 甲は,600万円を自己名義の口座に送金させる意図で,Bに対し,「金を返さないのであれば,うちの組の若い者をあんたの家に行かせることになる。」などと申し向けています。
 本件債権の金額は500万円で,甲は暴力団組員ではないものの,債務の返済をしなければ暴力団組員が自宅に来て返済等を迫ると言われれば,自己や家族等の生命及び身体に危害が加えられると恐れるのが通常であると思いますので,甲の上記行為は,600万円の送金という財物の交付に向けられた害悪の告知(脅迫)で,人を畏怖させるに足りるものというべきです。
 それゆえ,甲の上記行為は,「恐喝」に該当します。
⑵ 「財物を交付させた」
 「財物を交付させた」とは,恐喝により畏怖した相手方をして財物の交付をさせることをいい,恐喝行為と交付行為の間には因果関係が必要であると解されます。
 本件で,Bは,甲の上記恐喝行為により畏怖しています。
 ここで,①の立場からは,全部又は一部について財物を交付させる民法上の権限がある場合にも,交付された財物全体について,恐喝行為と交付行為との因果関係を認めることになります。
 これに対し,②の立場からは,民法上の権限がある場合には,その範囲内において,債務者は,恐喝行為の有無にかかわらず,債務の弁済として財物を交付しなければならないことから,恐喝行為がなければ財物の交付がなかったとはいえず,当該範囲内においては,刑法上の因果関係も否定されると解することになります。
 この点,刑法上の因果関係において要求される条件関係は,行為がなければ結果が生じなかったという事実的な関係を指すものであるので,民法上の権限の有無という法律的な観点から条件関係の有無を判断するべきではないと考えられます。
 本件で,Bは,本件債権の額が500万円であると認識しているものの,甲の上記恐喝行為により畏怖した結果,「分かりました。明日送金します。」と答え,翌日,指定された甲名義の口座に600万円を送金しています。
 それゆえ,600万円全体について,恐喝により畏怖した相手方をして財物の交付をさせたといえ,「財物を交付させた」に該当します。
⑶ 違法性阻却事由の有無
 次に,甲は,本件債権の債権者であるAから本件債権の回収を依頼されており,これについてAはBにも通知していたことから,甲には本件債権を回収することについて,民法上の受領権限があったということができます。
 ここで,①の立場からは,財物の受領の全部又は一部について民法上の権限があったとしても,恐喝行為を用いて財物を受領することは「正当な業務による行為」(35条)とはいえず,受領権限があった500万円について違法性が阻却されることはなく,600万円について恐喝罪が成立すると解することになります。
 これに対し,②の立場からは,民法上の権限がある場合には,その限度においては「正当な業務による行為」に該当すると解し,甲に受領権限があった500万円については違法性を阻却し,100万円についてのみ恐喝罪の成立を認めることになります。
 この点,違法性の本質は,社会的相当性を逸脱した法益侵害又はその危険にあると解されます。財物の受領について民法上の権限がある場合においても,「恐喝」に該当する行為を用いて財物の受領を実現することは,債権回収の手段として社会的に相当とはいえないので,「正当な業務による行為」には該当しないというべきです。
 それゆえ,甲が受領権限を有していた500万円について違法性が阻却されることはありません。
⑷ したがって,甲には,Bに対する被害額を600万円とする恐喝罪が成立し,その罪責を負うことになります。

第2 設問2
 設問2は,「仮に【事例1】並びに【事例2】の3,4及び7の事実が認められず,【事例2】の5,6,8及び9の事実のみが認められた場合,Aが睡眠薬を摂取して死亡したことについて,甲に殺人既遂罪が成立しないという結論の根拠となり得る具体的な事実としては,どのようなものがあるか。考えられるものを3つ挙げた上で,上記の結論を導く理由を事実ごとに簡潔に述べなさい。」というものです。
 色々と細かい指示があり,
・ 【事例2】の5,6,8及び9の事実のみが認められた場合
・ Aが睡眠薬を摂取して死亡したことについて,甲に殺人既遂罪が成立しないという結論の根拠となり得る具体的な事実としては,どのようなものがあるか
・ 考えられるものを3つ挙げた上で
・ 上記の結論を導く理由を事実ごとに簡潔に述べなさい
というように分析することができます。
 指示が長いので混乱しないように落ち着いて設問を読み,これらを的確に把握したいところです。
 【事例9】を読むと,睡眠薬の「混入量は,確実に数時間は目を覚まさない程度ではあったが,Aの特殊な心臓疾患がなければ,生命に対する危険性は全くないものであった」とされていることから,第1行為に殺人罪の実行の着手(43条本文)が認められるかどうかを検討する必要がありそうです。
 なお,設問2では結論までは問われていませんが,結論としては,いわゆるクロロホルム事件決定(最決平成16年3月22日刑集58巻3号187頁)のように,第1行為(Aにワインに混ぜた睡眠薬を飲ませて眠らせる行為)と第2行為(有毒ガスをAに吸入させる行為)を一体として実行行為として捉えることができれば,第1行為の開始をもって実行の着手を認めることができると思われます。
 次に,「Aには,A自身も認識していなかった特殊な心臓疾患があり,Aは,睡眠薬の摂取によって同疾患が急激に悪化して,急性心不全に陥ったものであった」とされていることから,仮に殺人の実行行為(実行の着手)を認めたとしても,Aが死亡した結果との間に刑法上の因果関係があるといえるかについても検討する必要がありそうです。
 さらに,甲が計画した因果経過と異なり,睡眠薬の入ったワインを飲ませる行為を完了した後,Aに有毒ガスを吸入させる前にA死亡という結果が発生しているため,甲に殺人の故意が認められるか(因果関係の錯誤)も検討する必要があります。
 このように,「Aが睡眠薬を摂取して死亡したことについて,甲に殺人既遂罪が成立しないという結論」に至るためには,
⑴ 殺人の実行の着手を否定する
⑵ 殺人の実行の着手を認めたとしても,A死亡結果との因果関係を否定する
⑶ 殺人の故意を否定する
という分析ができると思います。
 なお,設問は,甲に殺人既遂罪が成立しないという結論の根拠となり得る具体的な事実として考えられるものを3つ挙げるように指示がありますが,ここで挙げるべき3つの具体的事実は,それぞれ法的な意味合いが異なる事実(異なる要件を否定するもの)を挙げる方が良いと思います。
 上記のような分析を踏まえると,
【実行の着手を否定】
 本件で,甲がAのワインに混入した睡眠薬の混入量は,確実に数時間は目を覚まさない程度ではあったが,Aの特殊な心臓疾患がなければ,生命に対する危険性は全くないものであったという事実からすれば,第1行為は,人を死亡させる現実的な危険性を有する行為であったとはいえず,殺人の実行の着手が認められない。
【因果関係を否定】
 本件で,Aは,甲がA方から立ち去った数時間後に,急性心不全で死亡したところ,Aには,A自身も認識していなかった特殊な心臓疾患があり,Aは,睡眠薬の摂取によって同疾患が急激に悪化して,急性心不全に陥ったものであったという事実からすれば,第1行為の危険性が結果へと現実化したとはいえず,第1行為とA死亡の結果との間には刑法上の因果関係が認められない。
【故意を否定】
 本件で,甲は,第1行為によりAを眠らせた上で,第2行為によりAに有毒ガスを吸入させて死亡させる計画を有していたが,Aは,第1行為によって眠らされた後,A自身も認識していなかった特殊な心臓疾患が睡眠薬の摂取によって急激に悪化して,急性心不全に陥り,死亡したという事実からすれば,甲には因果関係に関して錯誤があるから,故意が認められない。
というように整理することができると思います。

第3 設問3
 設問3は,「【事例2】における甲の行為について,その罪責を論じなさい(住居等侵入罪(刑法第130条)及び特別法違反の点は除く。)。なお,【事例1】における甲の罪責及び【事例1】で成立する犯罪との罪数については論じる必要はない。」というものです。
 最近は,住居侵入罪は書かなくて良いとされていて,お小遣い稼ぎができなくなっていますよね。残念。笑
1 Fに対する詐欺罪(246条1項)
 「人を欺いて」とは,財物の交付に向けられた,その判断の基礎となる重要な事項を偽ることをいうと解されます。
 本件で,甲は,D銀行E支店の自己名義の口座に入金されている600万円はBから喝取したものであるのに,これを秘して,Fから同額の払い戻しを受けようとしています。
 しかし,銀行との関係では,送金の相手方や金額が送金者の認識と異ならない限り,送金の原因となった法律行為が有効かどうかにかかわらずに預金債権が成立するものと解され(誤振込みを例外と考える),銀行はこれについて返還義務を負うと解されます。
 そうすると,本件で,Bからの送金は相手方や金額を誤ったものではないから,前記口座内の預金がBから喝取したものであるとしても,D銀行はこれについて払戻しを行わなければならず,これは,Fが預金の払戻しという財物の交付を行うに際して,その判断の基礎となる重要な事項に該当するとはいえません。
 それゆえ,甲には,Fに対する詐欺罪は成立しません。
2 Aに対する横領(252条1項)
 甲が,Bから送金された600万円でCに対する自己の債務を弁済した行為について,Aに対する横領罪が成立するか検討します。
⑴ 「自己の占有する他人の物」
 「自己の占有する他人の物」とは,他人から委託を受けて(委託信任関係)自己が占有し,他人が所有する物をいうと解されます。
 現金は,民法上,占有する者が所有することになりますが,刑法において同一に解する必要はなく,刑法上の現金の所有は,刑法的観点から決定すべきところ,他人から委託を受けて占有する現金については,委託者の利益を保護する観点から,委託者が所有するものと解するべきです。
 本件で,甲はD銀行E支店の窓口係員Fから600万円の払戻しを受けた時点で,この600万円を所持し,占有していました。甲は,Aから本件債権の回収を委託され,その委託に基づき,Bから本件債権の弁済として600万円の送金を受け,その払戻しを受けて上記600万円を占有していたところ,Aとの間では,本件債権の回収方法が特に指定されていたわけではないので,Bから甲名義の口座へ送金を受け,その払戻しを受けて現金600万円をAに交付する方法も,本件債権の回収の一態様としてあり得ました。
 そうすると,上記時点における上記600万円のうちの500万円についての占有は,甲の債権回収の方法が犯罪に該当するどうかにかかわらずに,Aからの委託に基づく占有ということができます。
 それゆえ,上記500万円は,委託者であるAが所有し,Aからの委託を受けて甲が占有していたものといえるので,「自己の占有する他人の物」に該当します。
⑵ 「横領」
 「横領」とは,不法領得の意思を発現する行為をいい,ここにいう不法領得の意思とは,委託の趣旨に反して,所有者でなければできない処分をする意思をいうと解されます。
 本件で,Aからの委託の趣旨は,Bから回収した本件債権の弁済金をAに交付することにあったといえるから,同金員をA以外の者に交付することは,Aからの委託の趣旨に反するものということができます。
 次に,自己の債務の弁済は,自己の所有する金銭をもってしか行うことができないというべきであり,甲が上記500万円を用いてCに対する債務を弁済することは,所有者でなければできない処分というべきです。しかるに,甲は,上記金員を用いてCに対する自己の債務を弁済しており,この時点で,不法領得の意思が発現されたということができます。
 それゆえ,甲の上記行為は,「横領」に該当します。
⑶  したがって,甲にはAに対する被害額を500万円とする横領罪が成立します。
3 Aに対する詐欺利得罪(246条2項)
 甲が,某月2日,Aに対し,Bが「返済を10日間だけ待ってほしい」と言っている旨嘘を言い,某月11日までAから本件債権の回収状況を確認させなかった行為について,Aに対する詐欺利得罪が成立するか検討します。
⑴ 「前項の方法により」(=「人を欺いて」)
 「前項の方法により」とは,「人を欺いて」を指し,「人を欺いて」とは,財産上の利益の移転又は発生に向けられた,その判断の基礎となる重要な事項を偽ることをいう。
 本件で,甲には,前記のとおり,Aに対する被害額を500万円とする横領罪が成立するから,上記行為の時点で,甲は少なくともAに対する500万円の損害賠償債務を負っていました。甲は,Aに対し,「昨日,Bに対して返済するようにきつく言った。Bは,反省した様子で『今度こそは必ず返す。返済を10日間だけ待ってほしい。』と言っていた。」などと嘘を言い,10日間,Aに対する上記債務の返済を事実上免れようとしています。
 Aは,甲が既にBから600万円の送金を受けたことを知れば,直ちに甲に対しその返還等を請求した考えられるから,甲の上記行為は,一定期間,債務の返済を事実上免れるという財産上の利益の発生に向けられた,その判断の基礎となる重要な事項を偽るものということができます。
 それゆえ,甲の上記行為は,「人を欺いて」に該当し,「前項の方法により」に該当します。
⑵ 「財産上…の利益を得」
 「財産上……の利益」とは,財物以外の財産的利益の全てをいい,法的利益に限られず,事実上の利益も含むものと解され,これを「得」るとは,一定期間,債務の返済を事実上免れることも含まれると解されます。
 本件で,甲は,前記のとおり嘘を言い,これを信用したAをして,500万円の返還等の請求を困難にさせ,10日間,その返済を事実上免れたということができます。
 それゆえ,甲は,「財産上……の利益を得」たということができます。
⑶ 財産的損害
 Aには,10日間,甲に対する前記債務の履行を請求できなかったという点で財産的損害が生じているということができます。
⑷ したがって,甲には,Aに対する詐欺利得罪が成立します。
4 Aに対する強盗殺人罪(240条後段,236条2項)
 甲が,前記のように500万円の返還等の債務を負っているAに対し,その返済を免れる目的のもと,睡眠薬を飲ませ,後にAが死亡した点について,Aに対する強盗殺人罪が成立するか検討します。
⑴ 「強盗が」
 「強盗が」とは,強盗(236条)の実行に着手した者をいうと解されます。以下,甲にAに対する強盗利得罪の成否を検討します。
ア 「前項の方法により」(=「暴行又は脅迫」)
 「前項の方法により」とは,「暴行又は脅迫」(236条1項)と指し,「暴行又は脅迫」とは,財物又は財産上の利益の強取に向けられた,人の身体に対する有形力の行使又は害悪の告知をいい,その程度としては,相手方の反抗を抑圧する程度であることを要します。そして,殺人の実行行為に該当する行為は,相手方の反抗を抑圧する有形力の行使の最たるものであるから,「暴行」に該当します。
 「実行に着手」(43条本文)とは,法益侵害の現実的危険性が生じる行為に着手したことをいい,構成要件該当行為の開始前でも,これに密接な行為を開始した時には,上記危険性が生じる行為に着手したといえるので,「実行に着手」したということができます。
 本件で,甲の計画は,ワインに混ぜた睡眠薬をAに飲ませてAを眠らせた(以下「第1行為といいます。」)後,X剤とY剤を混合させて有毒ガスを発生させ,これをAに吸入させる(以下「第2行為」といいます。)というものでした。
 第2行為は有毒ガスを吸入させるというものであるから,逃走等を防ぐために同人の移動の自由を奪うことが第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠であり,第1行為のように他人を眠らせることは,その移動の自由を奪う一態様ということができます。
 次に,Aには相続人がいないことから,Aには親族がおらず,A方に同居している者がいたとの事情はないから,A方にはAと甲しかいなかったと考えられます。また,甲がAに飲ませようとしていた睡眠薬の混入量は,確実に数時間は目を覚まさない程度でした。
 そうすると,密室であるA方において第1行為に成功すれば,Aが他人に発見されたり,A自身が覚醒して逃走するなどということは考えられず,同じくA方においてそれ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情はなかったということができます。
 さらに,甲の計画は,犯行に必要な道具を積み込んだ自車を,A方に隣接する駐車場に停車させた上で,A方において第1行為に及んだ後,直ちに自車に戻ってX剤等を取った上で,再度A方に赴いて第2行為を行うというものでした。そうすると,第1行為と第2行為との間には時間的場所的近接性があったということができます。
 そうだとすれば,第1行為は第2行為に密接な行為であるということができるので,第1行為を開始した時点で,致死量の有毒ガスを発生させてこれを吸入させるという殺人罪の構成要件該当行為たる第2行為に至る現実的な危険性があったということができ,その時点で「実行に着手」したということができます。
 したがって,第1行為を開始した時点で,「暴行」に着手したということができます。
イ 「財産上…の利益を得」(236条2項)
 「財産上……の利益を得」たとは,暴行又は脅迫を手段として,財産的利益を得ることをいいます。
 本件で,甲は,前記のとおり,Aに対する500万円の債務を負っていたところ,同債務の返済を免れる意図のもと,Aに相続人がいないことを奇貨として,Aを殺害しようと,第1行為たる「暴行」を行っています。Aには相続人がいないことから,前記500万円の債務は,Aの死亡によって法律上消滅するため,甲はこれによって財産的利益を得るということができます。
 それゆえ,甲は,「財産上……の利益を得」たということができます。
⑵ 「死亡させた」
 「死亡させた」とは,強盗の手段たる暴行又は脅迫から死亡結果が生じた場合,すなわち,暴行行為と死亡結果との間に刑法上の因果関係が認められる場合を当然に含むものと解されます。そこで,第1行為とA死亡との間の因果関係を検討します。
 刑法上の因果関係は,異常な結果を排除して処罰範囲を適正にするために要求されるものであるから,行為の危険性が結果へと現実化したということができる場合には,刑法上の因果関係が認められると解すべきであり,因果関係の存否の判断は客観的に行うべきであるから,介在事情に対する予見可能性は必要ないと解するべきです。
 本件で,Aの死因は急性心不全であり,これはAが有していた特殊な心臓疾患が睡眠薬の摂取によって急激に悪化して生じたものです。同疾患については,A自身も認識しておらず,一般人も認識し得なかったうえ,甲もこれを認識していませんでした。また,甲がAに飲ませた睡眠薬は,病院で処方される一般的な医薬品であり,その混入量は,確実に数時間は目を覚まさない程度ではあったが,Aの特殊な心臓疾患がなければ,生命に対する危険性は全くないものでした。
 そうであるとしても,結局,客観的には,甲の第1行為にAの上記疾患を悪化させて死亡させる危険性が内在しており,上記結果は,甲の第1行為の危険性が現実化したものというべきです。
 それゆえ,A死亡の結果は,強盗の手段たる暴行と因果関係があり,これによって生じたということができ,「死亡させた」ということができます。
⑶ 故意
 故意責任の本質は,規範に直面し反対動機を形成することができたのに,これをあえて乗り越えて行為に出たことに対する道義的非難にあると解され,因果関係は,構成要件要素として故意の対象となるものの,行為の認識・予見した因果経過と実際に生じた因果経過が具体的に異なる場合でも,両者が危険の現実化という規範の範囲内にあるときは,結局,規範に直面していたということができるので,故意は認められると解されます。
 本件で,実際に生じた因果経過は前記⑵のとおりであるところ,甲が認識・予見していた因果経過は,Aを眠らせた上で致死量の有毒ガスを吸入させて死亡させるというものであり,これは,第1行為及び第2行為の危険性が結果へと現実化するものということができるから,両者は,いずれも危険の現実化という規範の範囲内にあるということができます。
 それゆえ,甲がその他の構成要件も認識している本件では,故意が認められます。
⑷ したがって,甲にはAに対する強盗殺人罪が成立します。
5 Aに対する窃盗罪(235条)
 甲が,第1行為を終えた後,A所有の高級腕時計を自らのポケットに入れた行為について,Aに対する窃盗罪が成立するか検討します。
⑴ 「他人の財物」
 「他人の財物」とは,他人の占有する有体物をいいます。
 本件で,A方の机上にあった高級腕時計は,Aが所有し,同人がA方の机上で占有している有体物であるので,「他人の財物」に該当します(なお,この時点でAは生存しているので,いわゆる死者の占有を論じる必要はありません。)。
⑵ 「窃取」
 「窃取」とは,他人の意思に反して,他人の財物の占有を移転させることをいいます。
 本件で,上記腕時計は,高級品であるから,これを甲が換金して遊興費に充てるためにAが甲に取得させることを許すとは到底考えられず,甲が自らのポケットに入れてその占有を自己に移転させることは,Aの推定的意思に反するものということができます。
 それゆえ,「窃取」に該当します。
⑶ 故意,不法領得の意思
 甲は,上記腕時計をAが所有し,かつ,占有していることを認識していて故意があるうえ,同腕時計を換金する目的であったことから,不法領得の意思も認められます。
6 罪数
 以上のとおり,甲には,①Aに対する横領罪,②Aに対する詐欺利得罪,③Aに対する強盗殺人罪,④Aに対する窃盗罪が成立し,①から③は実質的な被害財産を同じくするものであるので,①及び②は③に吸収され,これと④が併合罪(45条前段)となります。

第4 感想など
 甲の罪責しか問われておらず,共犯が問われていないことは前記のとおりですが,それを差し引いて考えても事案は複雑で,とても分析のしがいがあるというか(正しいかは不明),考えるほどに奥が深い問題だと思いました。
 設問をよく読んで,出題者の意図をしっかり汲みつつ,論理的な関係を確認しながら,わかりやすく,かつ,丁寧に論じることができれば良いと思います。
 すでに指摘したもののほか,少し注意を要すると考えられるポイントを指摘するとすれば,
・ Fに対する詐欺罪は最悪論じなくても良いと思います。3行くらいにまとめて論じるのが無難だと思います。
・ Aに対する横領で預金の占有を考える必要はありません。甲は,Fから預金の払戻しを受け,その時点で現金を占有しているからです。どのような犯罪もそうですが,特に横領は,着手=既遂となるので,着手の時期を丁寧に考えると良いと思います。
・ Aに対する強盗殺人は,かなり複雑なので,2項強盗と強盗殺人に分けて論じても良いと思います。ただ,いずれにしても,第1行為だけを実行行為とするのでは強盗殺人は成立しないため,クロロホルム事件的な論じ方が必要になると思います。
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