働いて稼ぐことに胸を張る!保育士を例題に働き手の意識を考える

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 企業の働き方改革が声高に叫ばれていますが、一部の職種、殊更「保育従事者」や「介護職」、「教育従事者」においては、働き方改革よりも働き手の意識改革が急務です。

 今回のテーマは「働いて稼ぐ」ということについて扱っていきます。この記事中では僕にとって身近である「保育士」を、そうした問題を抱える代表例として取り扱います。
 働いて稼ぐことに後ろめたさがある人は、共通の認識の歪さがあると思うので、自分事として読み進めてもらえればと思います。

 「稼ぐ」という言葉の持つ語感やニュアンスの問題なのでしょうか?日本人は「稼ぐ」ということを、どこかやましいこと、がめつい心の持ち様、のようにネガティブに捉えている人が多いように思います。

 特に福祉職に就く人は、そう学校で教わるの?僕教わってないけど・・・って思うことが頻繁にありました。

 どうしてその様な考えが生まれるのか、あくまで推測に過ぎませんが、新社会人の方や、「稼ぐ」ことに後ろめたさを感じている保育士は「福祉」を提供する仕事だから「利益」を求めるのはどうなんだろう?と思っているのではないかなと推察します。

 考察を巡らせていく前に結論からいきましょう。

結論

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 保育士も仕事なので働いて稼ぐことに胸を張るべきです。

 また、労働環境の問題などでよく話題に上がる「サービス残業」についても、働き手の意識から変えなくてはいけないことの一つです。

 サービス残業をよく「サービス精神や慈善活動」の様に言いくるめる人がいますが、それは経営者にとって都合の良い解釈であり、
 それを鵜呑みにして良しとするのは、ただの「自己犠牲」でしかありません。敢えて厳しい言葉を使うなら、その自己犠牲は福祉の為でも何でもなく、ただの本人の「自己満足」に過ぎません。

「福祉」と「お金」を切り離せば矛盾がでる

 「福祉」と言う言葉は、どちらも「幸せ」を意味する漢字二つによって成り立っています。

 「公共の福祉に準ずる」という福祉職の基本となる考え方は、簡単に要約するとみんなが幸せな日常を送る為に、私たちは活動、業務を行っていきましょうということですよね。

 その為に保育士は子ども達が安全に楽しく過ごせる工夫をし、保護者が安心して預け、時には相談ができる専門性を身に着ける努力をしながら、日々の業務に努めているわけですね。
 さて、では「幸せ」について少し考えてみましょう。

 幸せには人それぞれの価値観があり、同じ状況があっても感じ方は人それぞれです。なので、例えば「お金がたくさんあれば幸せか?」と聞かれたら、皆さんは自分の価値観でもってすぐに答えることができるし、意見は個人個人で分かれると思います。

 ですが、反対の言葉ではどうなるのか?「お金がないことは不幸せか?」と聞かれたら、「お金があれば幸せか?」と問われるよりもちょっと悩みませんか?

 それって、お金があることで幸せとは限らないけれど、お金がないと不自由があることや、選択肢が限られてしまう場面があることを知っているからですよね。

 お金が絶対とは言いません。ですが、やっぱり生きていくうえでは何かにつけて費用がかかりますから、このように「福祉(幸せ)」と「お金」を切り離そうとするのは難しいことなのです。その矛盾に気付かなければならない人が案外と多いものです。

社会の幸せを考えられるのは自分の足場が出来ている人

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 公共の福祉に準ずる。素晴らしい言葉で、いかにも日本人的な響きです。

 でも、社会全体の「幸せ」をかなえようと思うなら、まず自分自身が「幸せ」でなければならないと思います。

 なぜ、多くの人は「自分自身が社会の一部である」という当たり前なことを忘れてしまうのでしょうか?

 慈善事業や無償のサービスというのは、自分の生活にある程度満足していて、経済的にも精神的にも釣り合うからこそ可能な事です。自分事がままならない人は、社会の幸せを考えるよりも、やはり自分の足場を固めなくてはいけません。

 それに根本的なことに立ち返ると、保育士は職業であって、保育は業務の一つの形態です。それに伴う、労働と釣り合うだけの「給与」が与えられるのは当然のことです。
 なので労働への対価としての賃金と、日々の浪費やギャンブルの利得のような少し定義の曖昧な「お金」と混同してはいけないと思うのです。

保育現場の労働問題

 保育士の現行の業務について簡潔に批判すると、単純に業務過多で、慢性的な(というか制度上)の人手不足です。
 経験含めはっきりと言いますが、労働問題は根深い職種の一つであると断言できます。
 最近は労働環境改善に真摯に取り組む法人さんも見受けられるようになってきましたが、まだまだほんの一握りと言って良いでしょう。保育室に入る前、出た後の「サービス残業」や、仕事を家に持って帰って行う「持ち帰り残業」が当然の様に横行している施設がばかりです。

 また別の機会に「労働基準法」などについても少し触れたいと思っているのですが、(時間的、人員的な制約、個々の職員の技能など)どんな理由があっても労働時間や労働内容に対して見合うだけの「賃金」が発生することを国は保証しています。
 サービス残業を従業員に課すことはあってはいけないし、そうした実情があるのだとしたら、それは大問題なのです。

 しかし、先に書いた通り、保育士は今のところ「業務過多」であり、世間的にも認知されている様に「人員不足」もそれに拍車をかけています。

 保育士配置基準に準じ、子どもを見守るだけの人員を雇うのに手いっぱいで、書類や準備物など保育外業務に充てる時間を作るだけの人を雇えないという悩みを経営者も抱えているのです・・・

 ですが、「書類の簡素化・電子化」、「業務の見直し」、「職場環境の見直し」、時間を限定してパートさんを雇うなどの「非正規雇用の活用」・・・他にも業務を減らす、負担を軽くする方法はいくらでもあるはずです。
 職員が容認するから経営者は動こうとしないし、動かない・動けないということも実際あるのかもしれません。

 あくまでも個人的な見解ですが、労働に対する真っ当な賃金を支払えないのは経営者として力不足ということだと考えています。
 「経営したこともないくせに何が分かる?」という意見もあるかもしれませんが、もし誰がやっても人手不足でサービス残業が発生するのであれば、その時点で制度や経営方針、組織の運用が間違っているという証拠です。

サービス残業は自己犠牲による自己満足

 ここまでで改めて、仕事をしたら「それに見合う賃金」が発生することは当然のことで、サービス残業や持ち帰り残業をしていることに疑問を持てたと思います。

 うちは人が少ないから・・・保育園が困っているから・・・私は作業が遅いら・・・周りは残って仕事をしているし少しくらいサービス残業も・・・なんていう考え方は、本人が自己満足をする為の自己犠牲に過ぎないのです。


働いて稼ぐことに胸を張ろう

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 今や当事者たちよりも世間の方が「保育士」は必要な仕事だ、「給与を上げて欲しい」、「人員不足を解消して欲しい」と声をあげている様にも感じます。

 そうして、「世間が問題を認知してくれた」ということに満足してしまっている人いませんか?
 確かに、これまで見て見ぬふりをされてきたり、そもそも知られていなかった問題が明るみになることは前進ですし、苦労が認められると満たされたような気持ちになるかもしれません。ですが、根本的な問題としてやはり多くの施設で人手は足りないままですし、サービス残業などの無賃労働がまかり通ってしまっている事実は変わっていません。

 まずは誰もが働いて稼ぐことに胸を張るべきです。

 儲けるということは、いやらしいことではなく、自分の生活を固めることや、自分の欲求を満たすのに必要なこと、社会奉仕をするのに必要になることでもあります。それを飲み込みましょう。

 その上で、やっぱり無賃労働は法令違反だし、過労死ラインに届くような働き方は不健康です。それがまかり通る環境が間違っているし、そうせざるを得ない事情があるのなら、そもそも経営や制度がおかしいということになります。

 そうした問題を認識して、適切な場所と適切な行動で対処していかなければならないのではないかなと思います。

 次回は、サービス残業で本来支払われるはずだった未払い金を取り戻すための心構えや、具体的な対策について解説します。

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