原文で味わいたいドイツ語

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コラム
ヘッセ、日本人に特にファンが多いドイツ人作家、ですよね。
ミヒャエル・エンデの次に日本でファンが多い作家さんじゃないでしょうか。
感覚、感性が日本人にぴったり、なんですよね。

自然描写の上手な作家さん、というイメージだったんですが、例えば、川の流れや雲の動きなどの描写が素敵だなと。
「郷愁」という作品があるんですが、そこに出てくる雲の描写は、よくよく常に雲を観察している人だからこその言葉だなぁと感激しましたし、途中の、主人公と女性作家が湖にボートをこぐシーンがあるんですけど・・・

「湖は油のように滑らかだった」という一文があるのです。
私はこの一文の虜になってしまいましてね。
ボートのオールが水の中に沈み、また浮かび上がり、その水のうねりがまるて魚の背中のように、ぬったりと奥から湧き上がってくる・・・目の前にその映像がまざまざとよみがえってくるこの一文が、私は大好きなのです。

 Der See war glatt wie Öl

自動翻訳機にかけても、「湖は油のように滑らかだった」と出てくるくらい、単純な一文です。
文法も単純で、他に訳しようがない文なのですよ。
だけど、私たちは、こんな簡単な一文の中から、湖の水草だったり、においだったり、魚影を見るんですよね。
そして、夏の夕方のちょっと冷たい空気が頬に触れる感覚すら呼び起こすことができるのです。

単純な言葉の羅列、だけど、こんなに的確に、そのものを言い当てることができる。
ものすごい表現力の持ち主だし、感性の鋭い作家さんなんだなぁ・・・と、最近ことさらヘッセが好きです。

最近読んでいるのは、「デミアン」。これは、ちょっと少年時代のイタイ思い出の部分が自分のトラウマを刺激するので、一度読んだ切り封印していたのですが、最近改めて読んでいるところです。

私は、その「はしがき」の部分でちょっとギクリとしましてね。

Ich wollte ja nichts als das zu leben versuchen, was von selber aus mir heraus wollte. Warum war das so sehr schwer?

私は、こんな風に生きようとする以外に何も望んではいなかった。おのずから私に生じてくるような生き方をしたかった。
それがどうしてそんなに難しいことだったのか。

最初の冒頭一文でこれです。ちょっと痛いですよねー。
苦しみや息苦しさ、あの出口のない感じ、するっと手ごたえのない実態のない奇妙な空気感が再現されてしまうんです。

自分だけが苦しんでいる、自分だけが感じている違和感、自分だけが取り残されている、自分だけが気づいてない、もしくは自分だけが気づいているもの・・・。

周りとの違和感とまっすぐに生きられない、生きてはいけない束縛感を、誰の心にも蘇らせることのできる呪文のような一文ではないですか?

ja nichts als~、これ以外の~ではない、という結構強いフレーズです。
自分の中から生じた衝動に従って生きようと、それを実践しようとしたかっただけ。
それがどうしてこんなに難しいこと「だったのか」と、過去形になってるんですね。

ただ生まれて、そのように生きる。たったこれだけのために、人はどうしてそんなにも苦しい思いをするんでしょうね?
普遍的なものを指す場合、英語もそうですが、たいてい現在形なんですけど、ヘッセはここを過去形にしている。それはまさしく自分のこと、だったから。

普遍的に書くつもりならば「ich」を用いずにもこの文章は書けます。
「人はおのずから自分に湧き上がってくるように生きようとする。だが、それはとても難しいことだ」と。

デミアンは私小説、ということになっておりますから、彼は「私」ichにこだわっていたんですねぇ。
「私はそうだった」(みんなそうだよね?)
彼は自分がまず素っ裸になることで、さらけ出すことで、その普遍性を読者自身のこととして、感じてほしかったのかもしれませんね。

Was das ist, ein wirklich lebender Mensch, das weiß man heute allerdings weniger als jemals, und man schießt denn auch die Menschen, deren jeder ein kostbarer, einmaliger Versuch der Natur ist, zu Mengen tot.
Wären wir nicht noch mehr als einmalige Menschen,könnte man jeden von uns wirklich mit einer Flintenkugel ganz und gar aus der Welt schaffen, so hätte es keinen Sinn mehr, Geschichten zu erzählen.

本当に生きている人間というのは何なのか。
このことを、今、知っている人はかつてより少ない。
なぜなら、尊い、一度きりの自然の試みである人間を、人は撃ち、死に追いやっている。もはや、私たちが、たった一度きりの人生を送る人間ではなく、私たちの誰もが、一つの弾丸でいとも簡単にこの世から片付けられるのであれば、物語を語ることなど、もはや意味はないだろう。

今の時期、改めて毎日戦争のニュースがあるような中でこそ、私たちは何か物語を必要としているのですよね。物語の中には主人公がいて、その主人公は、大事な誰かの息子であり、娘であり、夫であり、妻であり・・・友人であり・・・かけがえのない人物だからです。

私たちが見たいものは、そういう唯一無二の、人間そのものなんでしょうね。
ヘッセは、二度の世界大戦の間を生きています。
ひとたび戦争がありますと、人は人でなくなる。
人は、ただ一つの弾丸であっけなく死ぬ、名もない存在となってしまうんです。

私たちはそうなりたいとは思ってないし、誰もそうなってほしくないと思っている。
私は、今こそ、素敵な物語をみんなで味わうべき時なのではないかと思っているのです。

そして自分自身の物語を・・・一緒に体験してみたいとお思いになられた方がいらしたら、ご連絡くださいね。
一緒にあなたの「物語」をタロットさんに聞きながら紡いでみましょう。
どんなお話を聞かせてくれるんでしょうね、あなたの魂は?

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