(384日目)「がんばります」の弊害。

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コラム
ワイは「頑張る」という言葉が好きじゃない。
できれば使いたくないとさえ思う。

なんでか?

それは、
『頑張ります』って都合の良い言葉だと思うから。
なんなら自己満足の極みじゃね?とさえ感じる。

そのように言っちゃえば
⇨頑張ろうとする自分を認めてほしい
⇨責められている今の状況から逃げたい
⇨根拠はないけど頑張ろうとする自分がステキ

こんな感じを受けちゃうから。

■ 「頑張る or 頑張らない」は個人の尺度

頑張るって言葉、すっごく抽象的じゃないっすか?
まず”どのように頑張るか”がまったく分からん。

聞いてる側から本人を見た時に
『頑張り足りないんじゃない?』と感じたとしても
本人が『頑張ってます!!』って思い込んでたら
『あ…そう。頑張ってね…』くらいしか言えん。

頑張るって言葉で相手を誤魔化そうとする
とても卑怯な言葉のようにも思っちゃうの。

■ "根拠のない頑張り"ほど無駄

頑張ります・頑張ってますって言われたとて
『じゃあ具体的にどのように頑張るの?』って
問いかけてマトモな答えが返ってこなかったら
言った本人は何も考えていないと思うしかない。

頑張る方法が分かってないのに頑張られると
とんでもない結果になることは、ままある。
結局のところ今より悲惨な結果になることも。

なぜならば、
・頑張る方向性が定まってない※
 →・間違った頑張りに時間と労力使う
 →・結果を出せない
 →・なぜこの結果になったか分からない
 →・※繰り返し
この状態になっちゃうから。

■ 無理をする原因にも

頑張ると言う言葉を多用する人には
真面目で融通の効かない(柔軟性がない)
そんな人が多いようにも思うなぁ。

確かにめっちゃ頑張ろうとすることは分かるけど
それが空回りしていることが多いように思う。

そして本人は
『こんなに頑張っているのに』
『まだまだ頑張りが足りないんだ』
『もっと汗水流して頑張らないと』
って気持ちに陥る。

もう、負のスパイラルですよ。
このマインドだと無理をしすぎるし
周りから無理を強いられる。

そして結果は健康を害してメンタルを壊す。

なんの良い結果も得られずに
こんな社会に恨みつらみを持ってしまうかも。

■ 言語化できない頑張りは意味がない

先にも書いたけど具体的に示すことができなければ
頑張る意味はないとさえ思うのね。

具体的にどんな行動を取りますか?
こう問われたときに言語化できるかどうか。
言語化できて周囲も納得できる説明ができるなら
その頑張りは間違ってないし意味があるでしょう。

だけど言葉にできないのなら意味がないっスね。

自分が取ろうとする行動を言葉にして表せない、
相手に理解できる言葉で説明できない、
それって自分がまず理解できてない証拠っすよ。

考えがまとまってないから言語化できない。
それって語彙力が低いからとかの問題じゃない。
(まぁそれも問題の一部だとは思うけど・・・)

■ 言語化するメリット

言語化できると特典がいくつかあります。
言葉に表すことで
⇨周りから適切な意見・助言を得やすくなる
⇨自分の意識に定着させられる
⇨自分自身で違和感に気づいてアップデートできる
⇨行動に責任が持てて完遂可能性が高まる
ってことです。

『頑張る』を多用している人、
人生うまくいかないと感じている人は
『頑張ります』と言う平易な言葉じゃなく
その具体化ができることがカギかもですぜ。
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