無駄な努力と無理な努力

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コラム
デリシャス不働です。

よく、無駄な努力という言葉を聞きます。
この言葉を履き違えて、
すぐに努力をやめてしまう人が多いように思います。

努力自体は無駄ではありません。

確かに、その努力によって報われるかどうかは分かりませんが、
努力による結果だけにこだわらず、過程にもこだわるべきです。

無駄な努力には言葉に語弊があるように思うので、
このように言い換えてみました。
「無理な努力」です。

努力にも「質」というものがあって、
その質によって努力で得られる対価というものは
変わるのではないかと思います。

そこで
「無理な努力」というのは
体力的に、または精神的に追い詰められてしまうほどの
努力という事を指しています。
体力的、精神的に追い詰められるほど突き進んでしまう行為は
努力というよりは、何か追われている感覚なのではないかと思うのです。

努力とは、
やはり追われるものであってはなりません。
追うものでなければならないのです。
何かを追い、追いつくために努力をするのです。
宗教的な感覚で
「やらなければなならない。」と感覚付いてしますと
努力のポテンシャルが非常に小さいものになってしまいます。

先ほども述べたように、
努力には「質」があるのです。

ある程度の、体力的にも精神的にも余裕がなければ、
常にポテンシャルの高い努力を生み出し続けることは難しいですし、
モチベーションを維持するのにも弊害になってしまいます。

今現在、何かに「努力」をしているという人は、
それは果たして「なにの努力」なのか、
どこを目指している努力なのか、思考してみるべきです。

目先の努力ほど、「無理な努力」になってしまいがちです。

先に待ち構える自分の姿を思い浮かべて、
努力のベクトルを再度整えてみてください。

きっと、努力にたいする価値観が変わるハズです。

努力とは、誰かのためのではなく、



「あなた」


の為にするのです。

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