宮崎中学校の先生の思い出 最終回

記事
コラム
丹てる子先生(理科)
入学して最初の先生の授業は、身も凍りつく異様なものでした。先生が入り口のドアをガラっと開けると、学級委員が「きりーつ」と号令を発します。ところが丹先生、その分厚いメガネ越しにジーッと私たちを見渡したと思ったら、「ダメッ!」とひとこと発してバシーンという大音響とともに戸を閉め、教室に入ってきません。少したって再びガラーッと戸を開けます。「起立。」「ダメッ。」「バシーン。」
それが三度ほど続くと、さすがに私たちもことの異様さに一様に顔をこわばらせ、静まり返るのでした。哀れなのは学級委員で、恐怖のあまり声も上ずり、必死に声を振り絞って「きりーつ。」と言えば、私たちもこれ以上ないといえるぐらいの動作で立ち上がり、やっとこさオーケーをもらえたのでした。
そんなふうにいつもニコリともせずに授業をすすめるのが常の先生だったのですが、誰がどこから仕入れてきたのか、先生は秋田出身だというのがわかったのですね。ある日いつものごとくカミナリを落とした時に、あるやつがひと言「秋田美人。」とつぶやくと、何と丹先生、口をへの字に曲げながらも一瞬ニッと笑ったのです。
私たちはそれを見逃しませんでした。以後、何か事が起きるたびに「秋田美人」と声をかけると先生は、どんなに怒り狂っていても直ちに機嫌を直したものでした。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す