負の感情を抱く体験

記事
ライフスタイル


出来事には意味はないと云います。
人が、その人のこころのフィルターを通してその出来事をみたり、体験することで、その出来事に、その時々に感じた通りの意味付けをすることで、意味をもたせるそうです。

長い間、「こころのフィルターを通して世界を視ていること」や、「意味付けをしていること」の意味する処が理解出来ずにいました。

解らないなりに、そのことが小骨のようにひっかかったままで、時折思い出してみては、考えを巡らせました。
長い間、解らないということが、あたかも悪い事のように思われて、じぶんを責めたり・・・

ある時、閃きました。

嫌な感情を持ってしまうような出来事は、その事について考えるということをする良い機会であることに。

楽しい、嬉しいというような感情は、比較的すぐに忘れてしまうような氣がします。
それに比べて、こころの傷が癒やされないままでいると、どんなに小さな出来事であっても、悲しい、辛い思いをしてしまうことがあると、その痛みは長引きます。

辛いと思ってしまう経験を振り返ってみることは、痛みを伴いますから、ともすれば、視ないふりをしがちです。
それが、善いとか、悪いということではないのですけれど・・・

それを繰り返している内に、臭いものには蓋をして、なかったフリをして、忘れてしまおうとします。
そして、「塵も積もれば山となる」です。
道理で、人生が辛く感じてしまう訳ですね。

先に、嫌な感情を持つ出来事は、振り返るきっかけになるという事に氣がついて、そこから、出来事自体には意味がないことや、皆、それぞれの心持ちによって、出来事に意味付けをしているということについて、納得できるようになりました。

誰しも、嫌な思いをしたくはありませんけれど、その負の感情のお蔭で、じぶんのこころの傷は、どういうものなのか、何故、痛みを感じるのかについて、立ち止まって考えるということが出来るのでしょう。

何事も起こらなかったら、振り返ってみるということをしたりしませんよね。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す