パニック障害と環境要因。

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はじめまして、「ばんばす」と申します。
あらかじめ申しておきます、バンド経験は一切ありません!どうぞよろしくお願いします。

「ブログ」というもの、実は、はじめて投稿します。
何か気の利いたことや、うまく話をまとめて共感を得たり、実績に繋げたり、活用の方法はいろいろとあるのでしょうけど、ひとまず、「私(40代おじさん)」ついてふれていこうと考えています。
おっさんに興味ないわ!という方ごめんなさいね。

タイトルにもあるように、私はパニック障害を患っています。もう25年になるでしょうか(四半世紀!)。
発症は上京して2浪目の受験直前、風邪で1週間ほど体調を崩し、やっと回復してきた頃でした。深夜に友人と電話している最中、突然、心臓が止まってしまう(エネルギーが切れたロボットの目の光が弱くなり動かなくなってしまうような…伝わります?)感覚に襲われ、全身が痺れ、呼吸ができているかわからず、文字通り「パニック」状態に。
友人との電話を切り、救急車を呼ぼうか、1人暮らしで周りに頼れる人もおらず、もうこのまま死んでしまうのでは、と、頭の中が大混乱。
深夜でしたが、まず実家に電話し、母親に状況を説明しているうちに、症状が緩和していきました。翌日、遠方より駆けつけてくれる、とのことで、一安心。(急性期は、脳の異常なほどのフル回転により、症状が落ち着くと強烈な眠気に襲われていました)

私の家庭では当時、薬や医者に頼らない、自然治癒や民間療法を取り入れておりました。ですので、母親が上京してきても、結局病院の受診はできませんでした。このとき適切な処置や専門の病院へかかっていれば、何か変化があったかもしれませんね。急性期は特に早めの受診が何より効果があることもわかっていますし。
病名もわからず、常に不安と緊張で、家から出るのも恐怖、受験は迫る、予備校には行けない、この先どうなってしまうのか、と自分を責めてしまいます。そんな状態でも「気持ちの問題」と片付けてしまう母親です。追い打ちを掛けるように、「実家の家業を継げ」と、私の人生の選択肢を、この弱っているタイミングで奪いましたからね。ますます自己肯定感は低くなるばかり。現在でも私の疾患を理解していませんし。まぁ、もう諦めています笑。

近年では、タレントさんやアスリート、アーティストの方がさまざまな疾患や特性をオープンにされていますので、TVやweb上でも報道があったり。で、そういうゴシップは好物オバサンですから、「○○ってパニック障害だって。芸能界辞めるって、そんなに治らないものかぁ」と。いやいや、サンプル目の前にありますがな。もうね、私の言葉よりTVのアナウンサーのほうがよく耳に入るんですよ、バイアスかかってて。

私は1人っ子でして、大事に育てられた、というよりは、無関心と叱責を幼少期からこれでもか、というほど受けてきました。ヒステリックな母親は、少しでも癇に障ると引っ叩いたり、口汚い言葉を浴びせたり。反対に父親は無関心、と母親に便乗。逃げ場もない、打ち明ける人もいない、いや、これが当たり前、と思い込んで1人で全てを受け入れてしまっていたのでしょうね。
よく泣く子でした。
で、イジメにも遭うわけです。昔のイジメですから、男子も女子も教師も、それから教育実習生にまで、まぁ、散々でした。当時は休むとか不登校なんて聞きませんでしたから、無理やり登校させられてましたし、もちろん両親にもなかなか話せず。何かの拍子で告白しましたが、結局大した対応もしてもらえなかったですし、いわゆる「精神論」で片づけられました
1年ほど続きましたが、子供のコミュニティも当時でもなかなか残酷で、ただターゲットが変わるというだけで。結局、自分以外ならセーフ、みたいな風潮がありましたか。今はスクールカウンセラーやセーフティネットなどが存在しますが、どれだけ機能しているのか、いたたまれない事件が起こる度に疑問に思います。
話を戻します。休みの日にどこかへ連れて行ってもらった、なんて経験もほとんどありませんし、たまに無理やり他県に連れていかれても、車中の車酔いも相手にされず、目的地の百貨店では両親の買い物を後ろからトボトボついて歩く、何も楽しくなかったですね。

支配的で自分を正義と信じて疑わない母親、無関心な父。親の顔色を窺い、怒られないように1日を過ごす、この繰り返し。小学生はまだよかったのですが、中学生になると、生徒の規模が1学年で3倍くらいになるので、イジメのトラウマから周りに気を遣い過ぎて胃を悪くし、薬を飲みながら登校していました。過呼吸の症状も1度ありました。

母親には発達障害による特性がみられます。人の気持ちを汲み取ったり、寄り添ったり、認めたり、許したり、「思いやり」が著しく欠落している部分があります。そして、母方の祖父・祖母もそういった傾向があったように記憶しています。
母親も1人っ子です。
私に自分を重ねる部分、そして、子供の訴えや心の問題に、どう対処してよいのかわからず、癇癪を起こしていたのではないかと思うのです。同じ話を何度しても、理解できない、納得しない、強いこだわりがあり譲れない、なども挙げられます。わかるまで反芻したり、子供のためにどうしたらよいのか、なんて努力や対応、一切ありませんでしたから。
この様な特性が気にはなっていましたが、私の子供たちにまで向けられるようになって、「あっ、これは確定だな」と思いました。
ですが、私は母親を責めても何も変わらない、と思っています。母親も「同じように育てられた」からです。私も家庭をもって、自分の子供たちには反面教師でいよう、と誓っても、やはり、感情をうまくコントロールできないことがあります。もし、子供たちも私の育て方のよくない部分を受け継いでしまったり、同じような感情を抱いてしまったら。

で、これは「連鎖している」と考えるようになったのです。
さらに、私が「パニック障害」となったのは、もしかしたら、もしかしたらですよ、この連鎖を断ち切る使命に気付くためだった、としたら。
パニック障害にならなければ、このように深く考えることもありませんでしたし、まぁ、意味を持たせて着地したい気持ちもないわけではありませんが笑
なので、両親にはもちろん育ててもらった感謝の気持ちはありますが、ある程度距離を保つことにしています。特に母親には必要以上に関わらない、そんな選択肢を設けることで、ずいぶんと楽になりました。
「親になんてことを!」と思う方もいるかもしれませんが、「毒親」なんて言葉もあるように、支配や洗脳されてまで親を敬う必要もなく、世間の美徳に振り回されず、自分の人生を生きた方が、よっぽど豊かだと思います。

環境要因は「パニック障害」にも関係が深い要素の1つです。
発症した原因はこれに限りませんが、この環境要因と、脈々と受け継がれてきた「負の連鎖」が私の場合は、腑に落ちた、というわけです。

パニック障害で悩み苦しんでいらっしゃる方がいましたら、少しでも心の支えとなれるよう、こちらで少しづつ発信していこうと思います。
あ、パニック障害以外のことにもふれていきますのでね。

最後まで読んで頂きありがとうございます!


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