劣等感と人見知り

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コラム
どうも、羽矢ひと美と申します。

今回から、ちょっと視点を変えて、自分史を振り返りながら、自分が経験し、どう対処したかを話していこうと思います。

幼少期
私は大人が怖くて、人見知りで、あがり症で、仲良くなった子としか明るく振舞えませんでした。
大人が怖いのは、両親の不仲と、それに伴う家族間のギスギスした関係が原因だと思います。
その事が、人見知りとあがり症につながり、人間不信・人とどう接したらいいのかわからない負の連鎖につながりました。
気がついた時から、私は、そんな自分が好きではなく、周りと比べて自分のダメさ加減に劣等感を抱いていました。

子供にとって、親は一番最初に触れる人間です。
愛情をもらって、信頼関係を築き、その先の人間関係へとつなぐ、大切な存在。
その存在が不安定だと、必然的に子供も不安定になります。
もちろん、環境だけが子供の人間形成に影響を与える訳ではありません。
その子の持つ個性や性格も大きく関わって成長していきます。

私の場合は、環境は決して良くありませんでした。
人間・親・大人というものに対して、私は「怖い」と判断しました。
怖いものに対峙するには勇気が必要です。
勇気にはパワーが必須。
でも、子供だった私には、養育者の存在がネックになって、そのパワーをどう摂取したらいいのかわかりませんでした。

私の人生は、最初から負から抜け出す「模索」からのスタートでした。

幸か不幸か、私は楽天家でした。
数理占術でも、私が持っている数字は7・4・2です。
7は楽天家・グルメ・世話好き
4は長女・人気
2は努力・愛情・母・妻
大器晩成型なので、人生の前半は苦労しました(笑)

最初の集団生活の保育園でも、お友達に声をかけるのに物凄く苦労しました。
仲良くなると好奇心旺盛と楽天家基質子供同士では、明るく元気でしたが、そこに大人が入るととたんにに閉じこもってしまい、大人の印象には「大人しい子」「暗い子」と映っていたと思います。
人前で発表するのが苦手で、あがってどもってしまい、更にあがってもごもごハッキリしない子になってしまいました。
そこで私は、前もって予測する事を覚えました。

もし、授業でさされた時は、どう答えるか
→そのために宿題は絶対!
授業内容もしっかり聞く!
他の人はどうしているのか観察する!

日々の生活の中で、こういう時はこうする!と予め予測することで対応力をつける。そのための材料として、周りの人をよく観察し始めました。

クラスで人気者が普段、どう行動しているのか。
私と似たような子は、こんな時はどう対応しているのか。
反対に先生は、どんな子に機嫌がいいか。
→どんな反応をされたら先生は機嫌がよくなるのか。

私は毎日、無意識のうちに人間観察をして、データを収集していきました。
・・・もちろん、その当時は、こんな分析はできないので、物凄く試行錯誤して人間観察を元にデータ収集して、人の良いところを自分に取り入れていくスタイルを確立しました。

あ、この人のこんなところが素敵!
あー、そんな事言ったら相手を傷つけるのに・・・
おー、そうくるかー

人間観察から得た様々な情報が、私のパワーになり、更に実践する事で確証につながり、それが勇気になり、どんどんチャレンジできるパワーを生んでいきました。
まぁ、簡単には人見知りやあがり症が修正される事はなかったけれど、自信にはつながり、また、友達との関係で視野も広がり、大人への概念も変わっていきました。

思春期
怖かった大人が、「私より長く生きているくせに対応力がないダメ人間」へと失望したのは、思春期の頃でした。
反抗期も重なって、その頃から親や家族への不信感・嫌悪感もひどくなりました。
まぁ、そうは言ってもグレる勇気も自殺する勇気もなく、ただただ「血縁とか親とか家族とか呪いでしかない」と、学校から帰ると家の中が血だらけでみんな死んでいるんじゃないかと不安とちょっとした期待がありました。
その頃から私の両親への評価は、「ダメな大人の見本」「ああはなりたくない」と両親が私の反面教師になりました。

・・・まぁ、その頃の母は既に統合失調症の症状が出ていたのですが、幼少期から私には、父より母の存在の方が大きかったので、ある意味、母の洗脳下で育った事も父や家族に対する嫌悪感や、家族の価値観大きな原因になったと思います。

長くなりましたので、今日はこの辺で終わりますね(*´ω`)

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