その後の毒親育ち

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コラム
何とかして実家を出て、自由になるんだと

その願望を抱き続けて、どうにか実家を出ることに成功しました。

しがらみは残っていますし、色々あった末距離も近い位置になってしまった。

それでも、親との関わる回数は年に数回と激減、

宗教との関わりもほぼほぼ無くなりました。



自由になった



好きな時間に外出もできるし、

部屋に私物を放ったままでも平気。

時々、遠出もしてみる。

こうしてパソコンも弄れる。




でも、内面はどこかでいつも怯えている。

心の声が、親の声になって圧をかけてきたり

全否定が重くのしかかってきたりする。

人との繋がりを、自ら避けてしまうことも多い。

自分の人生に、自分で遠慮をしている。

そう、無意識にクセついてしまっている。



親元からは離れられた

しかし、これで本当に自由を得たと言えるのだろうか…?

自由とは、本当の所、どういうことなのか?



檻の外に出てからが本番だ。

嫌なものがなくなった、それだけでは何も始まらない。

自分で自分を愛さなければ、自分が無条件に愛されることはない。

逆に、自分が自分を愛することが出来れば、

どこまでも無条件に愛を受け取ることが出来る。



感覚が相当、麻痺している現実に気づく。

感情を、湧いたその時に許して感じていく。

手の届かないものと諦めていたことに、

試しに頭の中で手を伸ばし、手を伸ばし、手を伸ばしていく。

そして、現実でも、無理っぽいけどギリ届きそうなとこから

手を伸ばしてみる。



車。住む場所。住み方。


人との繋がり。繋がり方。自分の在り方。


自分の癒し方。リラックスの仕方。テンションの上げ方。


働き方。お金の得方。使い方。


前への進み方。休み方。止まり方。後ろへの戻り方。


自分の喜ぶエッセンスをキャッチする。


その時の感情、感覚を覚えておく。


私はその感覚が好きなんだと。


感情を感じられる。それは素晴らしいことだ。


その時は確かに生きている。



頭の中で喋り続ける声は大体嘘と目くらましだ。

檻の外へ出てからが本番だ。

自由は青天井だ。

そして、思いつくものは、自分だから思いつくもの。

自分の道。

選んでいこう。

勿論、犯罪はダメだけど。心が広がるような、喜ぶようなものを手に取っていこう。





私の世界を、この足で歩み、この手で創ることの味わいを

思い出したその時に

心から「生きることは楽しい」と言える時が来る。
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