メンタルの話 〜弱者アピール〜

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 私は、本当にどうしようもなく困ると「弱者アピール」をすることがありました。否、今でもそうしてしまう気がします。
 弱者アピールとは、職場や学校などの集団の場で、自分がミスを犯した(と思い込んだ)ときに、強く反省している姿を周囲にアピールする行動です。これは、周囲からの攻撃を一時的に弱める効果がありますが、その効果は限定的です。しかし、途方に暮れた本人にとって、この周囲を「操作」できる感覚は、格別な安心感とともに成功体験として記憶されるような気がするのです。ですが、これは長続きしません。2度目以降は、周囲は「またか…」と感じ、徐々に人が離れていくことが多く。持続性がなく、不健全な方法といえましょう。辛いできごとがあったときに弱ること自体は、自然なことです。問題なのは、周囲を操作しようとすることです。

 では、日々の生活でどのように考え、振る舞うのがベストなのでしょうか。弱者アピールしがちな人の本音を踏まえて、内省をしてみたいと思います。

 弱者アピールは、どういうときにしがちなのでしょうか。それは、「周りの期待に応えられないと自分が考えるとき」ではないでしょうか。周囲からガッカリされないための予防線とも言えましょう。仕事でうまくいかないとき、仕事でミスをしてしまったとき、周りから責められないように こういったマインドになってしまいがちだと思うのです。

 職場や学校でミスしないなんてことは「絶対に不可能」なので、ミスを見越した備えと、ミスした後のアクションが大切だと思うのです。

 また、意外にあるのは「周りの期待に応えられないと勘違いしてしまっているケース」です。本当は結構できているのに、なぜか自信が持てない。客観的にはきちんとアウトプットを出しているのに、周囲や上司が正当に評価してくれない場合などがあります。

 ただ、実際にミスが多めの人の場合、具体的には、先天的にケアレスミスをしやすいタイプの人や周囲とのコミュニケーションが苦手なタイプの人は、どんなに一生懸命に努力しても、自分の行動あるいはアウトプットが、周囲の期待とそぐわないと感じた場合、自己肯定感が大きく落ち込み、健全な努力をするためのエネルギーが生まれません。どんな行動が安全かと考えたとき、弱者アピールは選択されやすい行動と言えます。日ごろから弱者として周知されれば、自分の合格ラインがかなり低くなる(気がする)のです。ですが、慢性的にこの方法を使用すると、すっかり心身が弱った状態に陥ることも少なくなく、理性的に考える余裕がない状況も多く。

外資系企業の一部には「エレベーション」という制度があると聞きます。これは、自分の担当案件が、自分の手に負えない状態になった場合に「ギブアップ」して、周囲の全面的な協力を仰ぐ権利を認めた制度です。これは、社内制度として「弱者アピール」が認められているともいえましょう。
ただし、この制度はメリットだけではありません。エレベーションを宣言した社員は審議にかけられ、周囲が強力にバックアップしてもどうしようもないほど土壇場で放り出したと判断された場合は、責任管理能力がないとして会社側が解雇することができるそうです。
 つまり、社員にとっては自らの進退を賭けたラストカードなのです。日本企業では、このような制度はあまり聞きません。しかし、自分の辛さをアピールすることと、周囲へ具体的な協力要請をすることも、同様の対極関係にあるのではないでしょうか。

 二つの決定的な違いは、周囲を「敵」とみなすか「仲間」とみなすかであります。弱者アピールをする人の多くは、ほぼ孤立した状況にあります。従って、気軽に会話できる仲間が皆無なのです。包容力に長けた管理者が仲介する場合を除いて、本人が自力で立ち直るのは難しいのです。すっかり認知が歪んだ本人を勇気付けするのは、専門家の協力も得ながら、慎重なアプローチが必要です。

 私は、「人は信頼しなさい。ただし信用はするな。」という言葉を大切にしたいと考えています。人間関係の距離感を探りながら、自分が勝手に相手に期待して裏切られた気分にならないよう、100%信用することをせず、相手をある程度尊重して頼り合い、助け合う。

 最終目標が良好な人間関係の構築です。

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