すべて叶っている立場とは

記事
コラム
米国の選挙をきっかけにDS側とそれに対抗する側のSNSや動画配信が
かなり増えてきていますね。
DS側の話は今回おいておきます。

対抗する側、これを「陰謀論だ」という人もいれば
日本人は戦後洗脳されている。目を覚ませ!!
という人もいますね。

どちらか1方だけというのはこの世では知覚出来ない(現実として成り立つには全て二元性)。
片方を強めれば、その分もう片方も強まる。そういう仕組みです。
簡単に説明すると
生があるから死があり
生がなければ死もない
黒を私達が黒色を認識するには白を認識しているのが前提
みたいな感じです。

この2極で議論が起きるのですが、
よくお見掛けするのは、もう1方を否定するやり方での議論方法ですね。
この2極で議論すれば当たり前の事です。
生を肯定する為には死を否定しなければならず
死を肯定するためのは生を否定しなければならない。

これは戦争のシステムと同じなんです。
どちらが良くて、どちらが悪い。

自分が「良くある為に」という思考になる。

それは自分の幸せに一生懸命な証拠でさえあります。
両方とも自分の幸せに一生懸命なだけなんですね。ただ、やり方が違うだけ。
両極とも抽象度を上げて観ると同じです。
ただただ「自分の幸せに一生懸命」
実に人間らしいとさえ思います。


さて、この両極の立ち位置以外の選択は無いのでしょうか?
この「生と死」どちらか以外。

生と死というフラグを眺めて観る、その立ち位置。
それが3つ目の立ち位置

「生」片一方と同化するのでもなく
「死」片一方と同化するのでもなく
「生と死」のその奥の背景
または
「生も死も」含む全て
生と死を成り立たせている「それ」
このブログで言えば、文字と文字の間
行と行の奥

それは最初から愛と幸せで埋め尽くされていたのでした。
それ立ち位置を選ぶのです。
その視点を持って下さい。


「メディアに騙されないで!!」と発信しているあなたもメディアになっているんですね。
それでは二元論と同化したままです。
二元論から出られない。
それでは他方を否定するやりかたのままです。
認識出来るのは1つ次元を落とした世界です。
だから、1つ次元を上げた視点を持ってみて下さい。
3つ目の視点です。

私が実行した具体的なやり方としては
自分が当たり前だと思って疑わない事をひたすら疑ってみる。
「それって本当に本当?」
そうです、ゲシュタルト崩壊です。

頑張って努力して積み上げれば「それ」の立ち位置になれるのではない。
その真逆に「それ」はある。

積み上げた物を引くんです。
足していって叶うんじゃない
引いて叶うんですよ。

その後に残るものが「それ」なんです。
「それの立場」に立てば、最初からすべて叶っていた
という事の理が開くでしょう。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す