♪引き続き 「私にはこれができます」 を模索の日々の中、遠い日のこんな記憶が、ふと頭を過ぎりました。
遡ること20年ほど前ですから、当時はまだ30代。
当時の商品兼仕事道具のギターケースを片手に、ビアレストランでの演奏に向かうべく、電車移動中でした。
控室が与えられるかどうかも微妙で、ステージ衣装を兼ねた私服姿の長髪中年。
自ずと周囲の視線を集めていたことでしょう。
座席の小さな男の子が歩み寄り、食べかけの唐揚げを差し出してくれるなど、和気藹々(あいあい)のステージ(笑)。
勿論ヒット曲を持つ有名人とは対極の、無名のオッサン楽団の演奏です。
客席は歓談に花が咲き、傾聴してくれる気配が希薄な中、こんな会話が鼓膜に届きました。
「あの歌ってるヤツ(=私)、普段は路上で自作の詩集とか売ってそうだな。膝小僧抱えて腹空かしてサ」
実はそれまでにも複数回、同じような指摘や囁きを届けていただいていました。
思わず吹き出しそうになるのをどうにか堪え、熱唱のフリに苦労したっけ。
♪平成世代には想像し辛いかと思われますが、ここで1970年代の若者文化の話を少々。
当時はたとえばターミナルの大きな歩道橋や、人通りの多い歩道の隅など、自作品を販売する個人露店がめずらしくありませんでした。
ご指摘の詩集やクラフトワークなど、昨今のガレージセールのブースが、簡素になったイメージ。
主催者などいない無許可開業ですから、整然と並ぶのではなく、基本単独露店として点在していました。
昨今のように、当局に見つかれば即強制撤去ではなく、目溢(めこぼし)すなわち 『見て見ぬフリ』 が暗黙の了解。
やさしい時代だったかと。
なるほど確かに、長髪+ベルボトムの 『これぞ1970年代!』 の若者が、膝を抱えて座っていたような?
あの頃を知る世代からすれば、その日の私はそんな外観と映ったのでしょう。
否定の余地も & するつもりも、一切ありません(笑)。
♪その日の帰路、裏方として手伝ってくれた、同い年のサラリーマンの男性との帰路、終電手前の地下鉄の車内で、
「俺達って、売れないフォークシンガーとマネージャーの地方営業みたいだな」
頭頂部の謙虚さとメタボ傾向が止まらぬ、くたびれたスーツ姿の彼の言葉に、
「俺がマネージャーで、売れない演歌歌手のミカン箱営業じゃないのか?」
四捨五入で 『4』 から始まる年齢が視野に入り始めたオッサン2人、電車内なので小笑い。
懐かしい思い出ですが ・・・ 「ん?」
これ以上はライバルにヒントを与えてしまいそうなので ← ※ セコイ
今編はここで筆を置きましょう。
朧気ながらも、こちらでの出品に重要なヒント、舞い降りてくれたかな?
或 頁生(ある ぺじお)
#7.