【生き方】頑張らない事を頑張ってみる。

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コラム
結局がんばるのかよ。というつっこみを入れつつ、
はじまりはじまり。

『修練と離欲』(ヨガ哲学より)
サンスクリット語ではアヴィアーサとヴァイラーギャといいます。

日々コツコツと努力を重ねるなかで執着を手離していきます。
執着は停滞、過去を生きている。
修練は未来へ向かう力です。
私たちには過去があってそれを積み重ねて今があります。
でも生きているのは今であって過去ではありません。
『意識を今に置く、今を生きる。』そうすることで執着から解放される。
と私は解釈しています。


張り詰めた人の思いを感じました。

その人は頑張らないとだめ、頑張りが足らないから認めてもらえない。
そんな風に感じているようでした。

かつての私も反骨精神とスポコン根性に塗れていたので、
気持ちは痛いほどにわかります。

ただその真意は…

満たされない心を一生懸命満たすための代償行為でした。
そのために身体に刺激を与え続け、怪我してもやめられず
とても強い執念と執着があったと今は振り返ります。

幼少期に満たされなかった心は、その後の人生において、
それを満たすことが知らず知らず課題となって浮き彫りになってきます。

時に他人から理解されたくて、認めてほしくて、共感してほしくて吐露するもそう思うようにはいかず傷ついてしまい、定期的にそれを繰り返す。

私は生きること自体が業(カルマ)だと思っています。

苦しむことも、楽しむことも経験として必要な業(カルマ)です。

頑張りすぎて疲れてしまって傷ついて心にぽっかり穴が開いたときは、
それを頑張って埋めようとせずその穴をぼんやり見つめる。

そんな頑張らない事を頑張る時も必要だと思えたらいいですね。
そうでないと心身がすり減ってしまう。
心身がすり減った状態を繰り返すうちに喜びや幸福を感じにくくなっていきます。

背負える荷物の量は決まっています。
背負って下ろして、時に人の手も借りて…焦らず生きていきましょう。
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