感受性という素敵で厄介で手放してはいけないもの

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コラム
雨に降られたとき、濡れるばかりの人もいれば、感じる人もいる。
こんなことを言ったアーティストがいます。
誰だったか。

ちょっと調べてきます! この記憶力 トホホ…

『雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。』
 (ずいぶん違う笑)
レゲーの神様、ボブ・マーリーの言葉でした。

人生のお天気もコロコロと変わります。
晴天ばかりではない、もちろん土砂降りばかりでもない。
風が吹いてよろけることも。

その時その時に、自分の感受性が豊かであれば感じることが出来る。
感じることが出来れば、意味のある時になる。

感受性とは何でしょう?
辞典には次のように記載されています。
【外界の刺激や印象を感じ取ることができる働き。】

例えば恋。
感受性が豊かな方ほど、きっと恋に敏感な人生になるのでしょう。

例えば人との付き合い。
感受性が豊かだと、傷つくことも多いかも知れません。

それから仕事。
感受性はアイデアや発見に大いに役立ちそう。


詩人の作品は厳しい戒めを投げかけます。
茨木のり子という詩人です。

『自分の感受性くらい』 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


この詩に出会ったのは中学生の時でした。
そして、度々思い出しては読み返します。
どの時代であっても、私の胸にドスンときます。

けれども、この厳しさは愛がいっぱい。
そうですよね、茨木先生。
もしかするとご自分への戒めであったかも。
なぜなら、次の詩はとても優しい。


『汲む』

大人になるというのはすれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても 人を人と思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 酷く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい 
あらゆる仕事  すべてのいい仕事の核には 
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を ひっそり汲むことがあるのです


震える弱いアンテナを大人になっても隠し持っている。
なのでアンテナに引っかかるものに戸惑うこともあります。
戸惑いもボブ・マーリーの言う、雨を感じている時かも知れませんね。

悩み揺れ動くとき、それも人生の宝物となります。
振り返ったとき、それは輝いて眩しいほどでしょう。

迷うこの時、自分を責めなくて良いのだと思います。
迷うことは駄目な事でも無駄な事でもない。
そう思います。


さて、私も叱られぬよう自分の感受性を守ろう!
なんせ私は「ばかもの」ですから(*ノωノ)


迷う心の答え探しにお供します。
さぁ、どんな感受性でお話しましょうか!

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