中国のジェネレーションギャップは想像より大きい!

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前回は中国の都市による違いについてお話ししました。 今回は生まれた年、年齢による違いについてお話しします。 

ご存知の方も多いと思いますが、中国には80后、90后、00后という言葉があります。 80后は1980年代の生まれ、90后は1990年代の生まれ、00后は2000年以降に生まれた人を指します。社会の変化があまりに急速だったため、年齢が10歳離れただけで考え方が外国の人・違う時代の人のように異なるという事を示す言葉です。

最近では10年ではひとまとめにできず、5年とも言われています。 日本でも10年一世代という言葉がありますので、似たような事ではないかと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし中国の10年は日本の10年とは変化の度合いが違います。

例えば、私の中国語の先生は60后、1960年代の生まれです。おしゃれで日本の同年代の女性と比べても全く違いはありません。そんな先生ですが、子供時代は文革の真っただ中だったと言います。 

東北地方の農村で育った先生は、小学生の頃は農作業や工場研修ばかりで、まともな教育を受けられなかったと言います。文革が終わった中学時代、国の知識階級が大幅に減少したことを受けて、突然大学への門戸が開かれ、必死に勉強して大学へ行ったそうです。「父親が知識階級で家庭学習を怠っていなかったのが幸いした」と語っていました。 

小さい頃の遊び道具は動物の骨を磨いたもの。羊だったか豚だったか忘れてしまいましたが、白いきれいな骨が人気だったそうです。 
余談ですがこの世代の人には熱心なキティちゃんのコレクターが多いそうです。灰色の中で少女時代を過ごした女性が初めて見た「可愛いキャラクター」がキティちゃんなんだそうです。明るい色遣いの可愛いキティちゃんに魅せられて、大人になってからも集めている人が多いそうですよ。 

文革が終わってからは教育が整備され始め、今まで農作業をしていた子供たちが学校で勉強をし始めます。1980年に入ると一人っ子政策が始まり、いわゆる甘やかされた「小皇帝」が出始めます。但し、この世代はまだ親にたくさん兄弟がいて、いとこが多かったり、親戚同士の付き合いが密だったりで、まだまだ大家族の名残りが強かった時代です。 

1992年には改革開放が推し進められ、その後国営企業一色だった中国に私営企業が出始めます。私が初めて中国へ行ったのが1997年。その頃の北京はまだ灰色一色で、人民服を着た老人も見かけました。町中のお店はまだ小売店が多く、スーパーもありましたが中国製の物がメインでした。

90后は消費行動が活発だと言われています。この世代の子供たちは一人っ子政策に加えて、両親が経済成長に乗って豊かなため、お金を使う事に抵抗がありません。あればあるだけ使う。月の稼ぎを全部使ってしまうため「月光族」という言葉も生まれました。(光は中国語で全部なくなるという意味があります)稼ぎを全部使ってしまっても両親や友達に頼ればなんとかなる、という事でインタビューに答える若者はあっけらかんとして楽しそうです。 

2000年以降は見る間に町が変わっていきました。私が大連で暮らし始めたのがちょうど2002年。大連は変化のスピードが遅かったとは言え、それでも目まぐるしく変わっていきました。どんどん増えていく外資系・中国系の大型デパート。住み始めた当初は外資系スーパーでないと手に入りづらかったパスタやトマトソースなどの輸入品が大手地元スーパーに並ぶようになりました。 

00后はまた事情が変わってきます。彼らはネットが出来てからの世代です。多感な思春期には既にi-phoneなどが出てきており、積極的に海外の情報を取っています。00后~10后は、80后が親世代になります。親世代は90后のお金の使い方を見て危機感を覚えており、また社会が大分落ち着いてきていることから、お金の使い方について子供たちに教えるケースが増えているそうです。中では投資や財テクについて子供の頃から教えておく、という親もいるとか。 


このように中国の人々はどういう時代に育ったかによって考え方が全く違います。3世代で同居しているところなどは話が通じなくて大変、というのもよく聞きます。 大都市と地方都市でも傾向が変わってきますので、まずは都市を決めてから年代別のマーケティングをすることをお薦めします。
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