Webデザイナーになれなかった世界線#21

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学び

# 振り返りのカタストロフィ#21

# 2020年9月13日の志
見失ってる

# できごと
- コンテスト受賞用の記事を提出
- ブログを書いた
- 休み

# 感謝していること
1.

# やること
- [ ]

営業職だった世界線

当時のブログに営業職時代のことを書いてた、この日は特段何もしていないようなので営業職時代のことを書いておく。
営業職になったのは新卒して入った会社の2年目のことだった。
1年目は新設された何をするのか、何の役割があるのかさっぱりわからない、女性だけの部署に配属された。名前を付けるとしたら営業アシスタントだと思う。そこで内勤として資料の作成や電話対応、女性が持てないであろう重いものを運ぶなどの雑用を1年間行った。当然何のスキルも身につくはずもなく、新設された部署なので確立された仕事もない。1年目から社内ニートであった。同期が営業として活躍し始める中、僕は暇と睡魔に耐えきれずによくトイレに行って寝ていた。
1年先輩の女性がとなりにいて、僕の教育係的な存在だったが彼女も2年目で僕のことなど構う余裕などなかった。
だが、彼女はいつも忙しく働いており残業時間もナンバー1で社内でも有名だった。
僕も来年はこうなるんだ、何しているのかはわからないけどバリバリ働いてやるんだと意気込んでいたら僕に2年目は来なかった。

何もできないまま営業の世界へ

僕は営業所へ移動になった。
1年間ほとんど何もしていない、何もわからない状態での異動は苦痛すぎた。
営業所側はとんでもないゴミクズが来たみたいな感を出していた、
僕も何もできないゴミクズとして、営業所の皆さんと接していた。
覚えることや初見殺しなことがほとんどで、毎日が本当に地獄だった。なんであんな環境で生き残れたのかいまだにわからない。
事務所にいれば、電話対応でクレームになる、かといって外に出ても何もわからない。
それでも、最初から担当を持たされ営業の世界に放り出された。
事務所にいても迷惑なのだから仕方がない、このころから自分が役に立たないから異動したのだと思うようになった。すると自己肯定感が一気に下がった。
会社の看板があったので、なんとかなったが本当に当時の取引先には申し訳ないことをした。
何も話せないのに、思考停止で訪問し何をするわけでもなく相手にすべてを委ねていた。
見た目がいいわけでも愛想がいいわけでも、自社のサービスに詳しいわけでもない、
ただのスーツを来た不審者だったと思う。

# 3年前の自分に伝えたいこと
- 営業だろうがWebデザイナーだろうがサービスに自信を持てないなら詰む
- サービスに自信がないうえ、自分に自信がないとさらに詰む
- そういった心の傷はいつか必ずバーストする
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