続・私が年末年始を楽しめない理由

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前回は年末年始が嫌いに理由を説明しましたが、ただ嫌いなことがわかったとしても辛いだけです。
嫌いなことが1つわかったことは進歩ではありますが、肝心なのはこれからどうするかだと思います。

嫌いだから避けるのか
嫌いということを受け止め淡々と過ごすのか
楽しむ努力をするのか
年に一回のことだし考えることを先送りにするのか

年末年始にしかできないことをする

年末年始を楽しむのであれば、その時にしかできないことをするのがよいと考えました。

しかし、かかる時間やお金の増減はあれど本当にその時にしかできないことなどないように思います。

となると、注目すべきポイントは誰と過ごすかでしょうか?
自分では他人はコントロールできません、
必然と年末にしか会えない人も出てくるでしょう。

年末にしか会えない人に時間を使う
これだとまだ範囲が広いですね、

年末にしか会えなくて、かつ会いたい人に時間を使う。
これが一番充実した年末年始が好きなる時間の使い方だと思います。

いままでにそうしたことがあっただろうか

振り返ってみるとそうした会いたい人、なかなか会えない人と過ごした年末年始はほとんどありません。

私含めてたいていの人は家族と年末年始を過ごすと思います。
私はその家族が自分の過ごしたい相手ではなかったのだと思います。

だから、過ごしたい人と年末年始を過ごしていないから
私の年末年始は充実していないものだ、
他の人に年末年始は私よりずっと充実しているのだ、
と勝手に不幸な妄想を膨らませていたのだと思います。

年末年始が嫌いなもの同士で集まる

ここでふと年末年始が嫌いなもの同士なら
年末年始を平和に過ごせるのでは?と思いました。

嫌いな理由は人それぞれだが、
嫌いということは立派な共通点だ。

避けるのもいい
受け止めるのもいい
努力をするのもいい

お互いにベストな選択を模索しながら、年を越す。
なんという充実した時間だろうと思ってしまう。

嫌いなままでいても構わない
なんというか年末年始が嫌いな人は、世の中と自分の身近な人の雰囲気に馴染めなくて不快感をおぼえてるイメージがある。
必ずしも充実していて楽しみたいと考えているわけではなく、
穏やかに平和に過ごしたいとい思いが強いのではないだろうか。

その方法や環境が年末年始のムードとずれているだけだ。

年末年始が嫌いなままでもいい、そういう人たちを私は同じ時間を過ごしたいと思う。








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