「生きる」ということ

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先日、産興会という勉強会に参加しました。もう58年間も活動している勉強会です。
今回は、「致知」という雑誌の記事を題材に意見をシェアするという内容でした。
その題材の一つに「感性を磨く生き方」という行徳哲男さん、芳村思風さん、村上信五さんの対談がありました。
その中で行徳さんが「感性」は一言で言うならば「紛れもない私」と言っています。
そして「現代人の多くは『紛れもない私』を生きていない。人に見せる自分ですよ」と言っていました。
「人に見せる自分」が強烈に響きました。
そんなに極端ではないにしろ、僕もそんな生き方をしていたなぁと思ったからです。少なくとも55歳くらいまでは、そんな人生だったと思います。
今では、インスタグラムに投稿するために「映え」を生きる人。
アニメやゲームに没入してその中で生きる人。
そんな人たちがたくさんいるように感じます。
趣味は人それぞれなので、批判するつもりはまったくありません。
それはその人の生き方の選択だから"自由”です。
ただ、自分の経験から「ありのままの自分を認めて生きる生き方」に「喜びや幸せを感じる」ことは確かなのではないかと思います。
そしてシンクロニシティが起こったかどうかは分かりませんが、偶然でなくこの勉強会の日に「モモ」を読み終わったばかりでした。
その中で一番印象に残っているのが「人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」というマイスター・ホラという時間を司る人物の言葉です。
この二つが結びついて、「人に見せるための時間でなく、自分のために時間を使うことが生きたということなのだ」というメッセージを受け取りました。
「自分のため」と言うのは「自分の理念、ミッションに基づいて生きる」ということです。
そして「理念」「ミッション」は本当の自分の核から生まれてくるものだと考えます。
つまり一般的に、神とか仏と表現される存在と一体になっている処から生まれてくるのだと思います。
だから「善」であるのは間違いないと思うのです。
「モモ」を読んだのも、勉強会への参加もカンがしたから起こしたことです。
今回の体験から、理念、ミッションを生きることで、カンがさらに訓練されることを実感しました。
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