私が経験した彼との試練②

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はじめてお読みいただく方は〈前編〉からご拝読頂ければと存じます。


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突然なにも言わずに姿を消した彼に対して最初に浮かんだ感情は〈寂しさ〉でした。


会社の役員を降りるのだって、住んでいる部屋の解約だって、荷物の搬出だって、思い立ってすぐにできるようなものではありません。何ヶ月も前から進めておかねばならないようなもののはずです。


19歳で彼と出会い、約1年ちょっとの交際期間中、彼はその素振りすら見せていませんでした。



「どうして私になにも言ってくれなかったんだろう……」



なにか事情があるのはわかります。事情がなければ、失踪という選択肢を取らないはずですから。

私が寂しく感じてしまったのは、



「私は結局、彼の人生の一部にはなれていなかったんだ」



というものでした。


たくさんの同時交際の女性が居ることはギリギリのところで苦しいながらも受け入れられました。

でも、私は彼にとっての人生の部外者であったのだということは、受け入れることがとても難しく、その寂しさにいままで感じたことのない孤独を感じました。



「どうして、私には教えてくれなかったんだろう」
「いつから消える計画だったんだろう」
「他の人には事前に話してたんだろうか」



私は、生まれてはじめて慟哭しました。声にならない声で泣き、流れる鼻水もそのままに泣きました。

人間には興味が湧かず、自分には「恋愛は無理だ」と信じ込んでいた堅物の無表情の不器用な20歳の女子が、顔をぐしゃぐしゃにしながら、時間の感覚も忘れて泣き続けました。



「涙は物理的な反応でしかない」
「涙は、ストレス物質を洗い出してくれる作用もある」
「泣きたいと体が要求してるのだ」
「どうしてなにも言ってくれなかったの」
「私は悲しくなんかない」
「心は自分の意志でコントロールできる」
「涙の主成分は98%が水で、ナトリウムやタンパク質も入っている」
「私はあなたにとっては、どういう存在だったの」
「塩っぱいのはナトリウムのせいだ」
「いますぐ会いたい……」
「捨てられてもいいから、別れてもいいから、最後に一度だけ会いたい……」
「ほっぺに触れたい……」
「あなたの匂いを嗅ぎたい……」



どのくらい泣き続けたのか覚えていません。

そのうちに考えることが出来ない完全な無の状態に入りました。思考が止まり、空腹も、疲れも、眠気も、悲しみも苦しみもすべて消えた世界にいました。このまま死んでしまうのだと頭のどこかで、薄ぼんやりと考えていました。

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何日後かわかりませんが、脱水症状寸前の私を、連絡が取れなくなって心配した母が部屋にやってきてくれて助けてくれました。


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しばらく、メンタルヘルスのクリニックに通うことになりました。

両親が私の状態をとても心配してくれていたので、その両親を安心させたいという気持ちからでした。

他人のことには興味がなかった私が、自分以外の人のことも考えられるようになったのだと気が付き、でもそれは、


「彼と過ごした影響なんだ」


と思い当たったとき、また寂しさに胸が張り裂けそうでした。


彼との交際は短い期間だったかもしれません。実際に過ごせた時間も合計するとそこまでなかったのかもしれません。

でも、確実に彼の価値観や考え方に感化されて、私は生まれ変わっていたということを、彼を失ってからはじめて痛感したのでした。


「お前は束縛をとにかく嫌うだろう?」

「うん」

「でも、お前自身がお前を束縛してるかもしれないぜ」

「どういうこと?」

「自分はこうあるべきだって、自分はこうなんだって決めつけてる。自分は他人とは距離を置かないと駄目なんだって決めてたり、自分軸を大事にしていかないと駄目なんだって決めてたりさ」

「でも、大事なことだと思ってる」

「大事なことさ。でも、こうあるべきだって決めてしまうと、可動域も決まっちゃうんだぜ。自由な発想ができなくなる。自分で限界値を決めたら、それ以上の発想はできなくなるんだな」

「そうなんだ」

「うん、まあいまはわからなくてもいいよ。それよりほっぺにチューして、難しいこと喋ってるあなたの横顔がしゅき!って言ってくれ!」


彼から最初に教わったことは〈束縛とはなにか〉ということでした。

私はこのとき彼の言う意味は理解ができていませんでしたが、後になってどういうことなのかを理解したのです。私は自分を自分で束縛していたために、突き抜けられずに苦しんでいたのだと、気がついたのでした。

勉強に行き詰まっているとき、手を変え品を変え、このことを彼は様々なシーンで教えてくれました。


「数学には情緒が必要だって言葉、聞いたことあるかい?」

「なんとなく前に聞いたけど……」

「岡潔っていう大数学者が言ってた言葉なんだ。数学と情緒だなんて、まるきり正反対のようなものに思えるだろ?」

「うん」

「でも岡潔はさ、解けない難問の最後の最後に解くための鍵になるものは、情緒だって言ってるんだよ」

「情緒って、よくわかってないかも」

「情緒っていうのはさ、喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖なんていう感情を、人や動物や情景や状況などに感じる心のことさ。

たとえば、朽ちた三輪車が雨に打たれているシーンを見たときに、寂しいな、とか、悲しいな、とか、逆に新しい三輪車を買ってもらってもう要らなくなったんだね、って嬉しくなったりさ。

それぞれどう感じるかは自由だし、どう思うかはその人の歩んできた人生によって変わってくる。なにが正解っていうのはないんだが、そもそも対象に対して無感動でいること自体はあまり……かもな!」

「なんとなくわかるけど……でもおっぱい揉みながら言うこと?」

「不思議だね!! おっぱいを揉んでると、偉そうな言葉がポンポン出てくるよ!」


彼は、私の過去や生きてきた道程の話には一切触れず、これからのことだけをいつも話してくれていました。

私に足りなかったのは、彼の言う通り情緒です。自分のことしか考えられず、常に自分軸でしかものを考えられなかったために、学業でも伸び悩んでいたのでした。

そして彼が消えた後に、この本当の意味を理解できたときに私の学びも数段ステップアップしたのでした。


彼から学んだことは数え切れないくらいあります。


だからこそ折りに触れて彼の伝えてくれたことを思い出し、その度に私は苦しくなっていました。


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部屋にまるめて脱ぎ捨てられた彼のジャージの上下を、その位置のその状態のままに私はしておきました。

なにかあればその部屋着に顔を突っ伏し、残っている彼の香りを胸いっぱいに吸い込んで、そのまま眠っていました。毛玉だらけのグレーのジャージです。


ある時、段々と彼の匂いが薄くなっていっているのに気がついて、大きいジップロックを買ってきてその中に真空保存しました。

彼の香りは嗅げなくなってしまったけれど、香りが失くなる事実を私は受け入れることが出来ないと思ったのでした。


男臭い彼専用の枕も、同じようにジップロックに保存します。


彼の加齢臭をいつも私は「臭いから、なんとかしてー!」と半分冗談、半分本気でいつも彼にツッコんでいましたが、彼を失ってからはその臭いすら愛しくてたまりませんでした。


彼が大好物だったのは、私の作るジャワカレーでした。

いつも美味しい美味しいとすごい勢いで2合のご飯と一緒に平らげて、その後は胸焼けと胃もたれで、


「駄目だ……食いすぎたかも……」


とベッドにダウンしたので、私はカレーを作ると彼と過ごす時間が消えてしまうことに、いつもちょっぴり不満でした。


それでも彼は、


「今日のご飯はどうするジャワ? 俺は、なんとなくエスニック系がいいジャワね~。なにか、それっぽいのあるジャワかねぇ~? エスニックっていうと、思いつかないジャワよね」


なんて私のカレーを暗に要求してきて、何度彼のためにカレーを作ったかわからないほどです。



2回ほど、彼との約束の日ではないときに冷凍保存するためにカレーをつくったことがありました。

そのとき、不意に彼が部屋にやってきて、


「いやらしいその匂いが、ぷんぷん俺の鼻腔まで漂ってきてたジャワよ~!!」


と料理中の私を強くハグしてくれたことがありました。


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彼が消えた後、私は何度カレーを作ったかわかりません。

いつ勢いよく元気な彼が突入してくるかわかりませんでしたので、料理中は部屋の扉に鍵はかけていませんでした。


扉は7年間、開きませんでした。


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正確に記録をつけていたわけではありませんでしたが、最初の1年間は寂しさに胸が張り裂けそうになる時間を経験しました。

次に経験したのは、彼に対しての〈怒り〉です。この怒りは2年近く続きました。

そして、縋るような懇願の気持ちと、恨みを同時に経験していきます。

そして最後にたどり着いたのは〈感謝〉でした。



「あなたはいまどこでなにをしているかわからないし、生きているのか、死んでいるのかもわからないけれど、いま一番あなたに望むことは、あなたが幸せでいること」



もう会うことは叶わないと私はさすがに理解が出来ていたのです。

7年という歳月はそれほど果てしない時間でした。



メンタルヘルスのクリニックに通うことは早々に辞めていました。色々と思うところがあったのです。

その時は占いの存在を否定していたので、占いで道を照らしてもらう発想すらありませんでした。一瞬だけ宗教にハマりそうになりましたが、それも続きませんでした。

ただ私はひたすら自分自身の心の鍛錬のために時間を費やし、彼への執着を捨てる方法だけを模索していました。


7年間どのくらい苦しかったかは、割愛します。


実は一度は書いたのですが、内容が余りにも重すぎるために読んでくださった方のメンタルにも影響が出てしまうことが怖いと思ったからです。

ネガティブな文言は、ネガティブな感情を引き起こしてしまいます。


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ある日──。




私は道で死にかけていた猫を保護し、一緒に暮らしはじめました。それが結果的に私の考え方を変えてくれ、気がつくと私は、彼に対しての期待や執着や怒り、恨みといった感情を手放すことが出来たのです。

カラスにやられたのか、道の隅っこでピクピクと動いていた子猫が私の介護によって日を増すごとに元気になっていくさまに、


「愛って、こういうことなのかもしれない」


と気がついたんですね。

保護をし、介護をすることで猫に私はなにも見返りを求めていません。ただひたすら元気になってくれることだけを望んでいました。元気になってくれるのであれば、それ以上なにもいらないと思っていました。

私は取り憑かれたようにその子の世話に没頭していきます。


・今日は昨日よりもすこし多めに水が飲めた。

・目やにが止まってくれた。

・まだ歩けないけれど、自分ですこし起き上がることができるようになった。


そんな様子に日々触れながら〈愛〉がどういうものかをぼんやり理解していけたのです。


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この子が元気になったとしても、金銭を要求したりしませんし、私に懐いてくれなくてもいいと思っていました。

実際に彼女(メスです)は元気になっても半年は私を避けていました。手に穴が空くほど噛まれたことも何度もあります。

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でも、私は一度も「ふん、なによ!」と思ったことはありませんでしたし、「なんでそんな態度を取られないといけないの……」と泣いたこともありません。


「いいのよ。私のことは嫌ってもいいから。どんどん元気になっていってね」


と彼女のことをあたたかい目で見られていたのです。


「なにも見返りは要らない。この子が幸せになれるなら、それが私の幸せ」


そういう心境になれたときに、いつしか彼に対しても恨みも、寂しさも、怒りも消えており、ただ感謝の気持だけが残っていたのでした。




「たくさん大事なことを教えてくれたあなたに感謝してるよ。あなたが生きていて、そして幸せに暮らせているなら、それが私の幸せ」




そんなふうに微笑むことができるときが、7年かかってやって来たのでした。





──そして。





猫が私に心を開いてくれた日と、彼から連絡があった日は、同じ日でした。

それは、ある日突然のことでした。



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次回に続きます。
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