vol.14 母のお見舞い

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コラム
高齢母は先日、膝の手術をしたので、お見舞いに行ってきました。

母は毒母です。

姉妹差別を受けて育ちました。
姉への態度と私への態度、全然違うのです。

姉には猫なで声。
妹の私には冷たい声。

もらったものも違います。
姉は家を買ってもらったり、孫達の留学費も出してもらったりしていて、
私は全然なし。

でも、小さい頃からお母さんが大好きでした。

だから、文句は言いません。


4歳のとき、どしゃぶり嵐の中、土下座させられ、何度も謝れと言われました。
道行く人が「可哀想だからやめてください!」と言ってくれたのを覚えています。

怖くて、悲しくて、土下座しながら「ごめんなさい」「ごめんなさい」と叫びました。


ほんと、映画のワンシーンのように、その時の光景が鮮明に蘇ります。
(泣ける)


でも、何をされてもお母さんが大好きでした。


アメリカ留学から帰ってきて、母はいつまでも若くないから親孝行しよう!と決めました。

「母に逆らわない」「母のことを優先してやる」「母の役に立つ」というミッションを自分の中で掲げて実行しました。

母は喜びました。

私も母の喜ぶ顔を見ると嬉しくて、嬉しくて。


でも、今年の初めに、母から理不尽なことで一方的に文句を言われ、何より、私の主人ことを侮辱したことで、私の中で諦めというか、母に対しての闇ができてしまいました。

毒母と決別しよう、そう思いました。

主人を守らなきゃいけないと思ったのです。

家族を守るために。


そんな関係だった母親が手術することになり、しぶしぶ、、、、お見舞いに行きました。
足取り重く・・・


ほんの少ししか居られませんでしたが、母は涙ぐんでいました。

母なりに、何か思うところがあったのかな。


決別という岩のようだった私の決意も溶けていく、、、、。


母は高齢です。


いつ、お別れになるか分からない。


理解し合うことは無理です。

あの時は、悲しかった、、という気持ちを伝えても、事実を捻じ曲げて、過去の事実を自分の都合の良いストーリーに書き換え、自分を被害者にもっていくのが大得意な毒母。


母と話せば、話すほど気持ちがすさむので、それはやめます。


でも、心から分かり合えなくても、私を生んでくれた母。


それには感謝をし、残された時間、出来る範囲で母に寄り添うことを考えてみようかと思います。



Be Happy😊





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