滅美(人生の最後についての考え*死に対する考えが多数ありますので閲覧注意*)

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学び
介護の仕事をしていると、人の命の最後に関わる場面がしばしばあります。
いつも感じるのは

この人の最後は幸せだったかな?
生きてきた人生の中、最後に後悔して無いかな?

人生の終わりは必ずやってきます。それは自然の摂理で止めようが無いです。むしろ
生きていること
が奇跡なのです。健康で毎日を過ごすことができること、仕事に娯楽に思うままに生活ができること。

今、日本は平和で死に対する恐怖を感じながら毎日を過ごしている方はごく少数であると思っています。その中で摂理の逆転の考えになっているのではないでしょうか?
生きているのが当たり前で死ぬことは残念で怖いものである。

医療の発展に伴い、死ぬことは敗北であるかのように命を繋ぎ止めている現状があります。
それは本当に本人が望んだことなのでしょうか?

中にはあの時、死んでいればこのようなことはなかった!!
私はなんで生きてしまったのか・・・

と悔やむ人もいるのではないでしょうか。

私は意識もなく体も動かせず会話もできない状態で心臓と脳だけが死んでいない状態では生きたいと思いません。あくまで私の感情です。

人間という個人は必ず死にます(滅びます)。
その人生の滅びをしっかりと受け入れ。納得し、家族と感情を共有し胸を張って人生の最後を迎える

滅び→滅美 にしていきたいと切に願います。
終わりよければすべてよしと素晴らしい言葉があります。他者に対しても自身に対してもまさにその通りだと私は思います。

多種多様な生き方や働き方が沢山報道されています。
本当の意味で人間は沢山の選択肢を手に入れそれを選べる存在になったのだと思います。
その中で人生の最後を選択する権利に関してはまだまだ進んでいません
医師や看護、介護士や家族はそんな生かされたしまったと感じている高齢者や患者から
早く死にたい、毎日が辛い、はやくお迎えがきて欲しいと七夕に願う
そんな言葉をいただいている場面も少なからずあると思います。

実際に私の10年で数多くの人たちからそんな悲痛な言葉をいただきました。
私は
今のまま歳をとるのが怖く感じています。もし生かされてしまったらと考えると身震いしてしまいます。
私は家族に自身の最後について語っています。
万が一の時には助けないでほしいと運命だと受け入れてほしいと話しています。
それが私の意思で私のエンディングなんだと自分に言い聞かせています。

前置きが長くなりました
自分の最後はいつ訪れるかわかりません、自分の人生の最後を考え、親しい人や家族と話をすることの
重要性を知っていただきたかったのです。
残されたもの、旅立つものの双方に豊かで幸せな人生だったと胸を張って
人生を終わることができる人が
少しでも多くなることを切に願っています。
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