毒親育ちと雑談スキル

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 普段、何気なくする会話。つまり雑談。これも中々に難しいものですが、こと毒親育ちとなるとさらに難しいと思っているのです。

 虐待に深刻な後遺症があるとすれば、まずそれは「コミュニケーション能力」なんだろうと思っています。

 考え方や認知の仕方に特徴があったり、他人の評価を気にしすぎたり、批判されることに極端に弱く攻撃的になったり

 感情が爆発するまで、嫌なことを抱え込んでしまったり…

 雑談をすることも、怖くなってしまうことありませんか?



 毒親から脱出するためには、家族以外との人間関係の構築が必要なのだけれど、その人間関係を構築するスキル、つまり雑談するスキル足りないのだと思っています。

 喜怒哀楽を表に出すことができない、自分の意見がまとめられない。自分に自信がない。

 過去の私は、そういうことが原因で「友達」を作ることができませんでした。

 正確には、作ろうとしたのだけれど「見捨てられる不安」が付きまとってくるのが怖かったのです。

 変なことを言って嫌われたらどうしようとか、他の人に私の事を話してたらどうしようとか(悪口言われてやしないか)。

 そういう自分の感情に疲れて、人と関わる事を避けていた時期がありました。心のどこかで「ありのままの自分を受け入れてほしい、好きになってくれる人はいるはずだ」という幻想を抱いていたんだと思います。

 本当は、幻想じゃないのかもしれません。ただ、毒親育ちは基本的に「ギブ&テイク」の世界しか見てきていない。自分が悪い子だから、親に拒絶される、良い子でいなくてはならないという、いわゆるテンプレートができていて、そのテンプレートの存在が、虐待の世代間連鎖が起きる一つの大きな原因になっているという論文も発表されているのですが、それはまさしくその通りだと思うのです。


  これを変化させるには、かなり大きな出来事や内的体験がないと変化しにくいとされています。

 ただ自分の経験では、自分の在り方を許容してくれる他者との関わりによって変えていくことができる、と思っています。

 だから、コミュニケーション(雑談)のスキルを付けることが一番重要なことなのだろうと。何故なら、感情のやり取りの練習になるからです。

 大人になった自分を育んでいけるのは、結局は自分。自分を育てることで愛着も湧く。自分の愛し方を知らなければ、他者に愛情は向けられないものです。そして何を選択し、どんな人生をこれから歩むのか、決めるのは自分。

 よく考えたら、それってすごく素敵なことだし、めちゃくちゃかっこいいなと思います。それができて初めて、過去に支配されない人生を送れるんだなと実感しています。

 アドラー心理学の本「嫌われる勇気」を読んだ時に真っ先に引っ掛かったのが「トラウマは存在しない」という考え方でした。

  自分は実際に過去のトラウマに苦しんでいるのに、なんで?…そう思って「自分には合わない考え方なんだ」と一旦読むことを放棄してしまいましたが、その意味がやっと理解できたような気がするのです。




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