【インナーアダルトという概念】

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コラム
 毒親育ちではなくても、一度は耳にしたことがあるであろう「インナーチャイルド」という言葉。

 その「インナーチャイルド」を育てる「インナーアダルト」という概念について、詳しい方はあまりいらっしゃらないかもしれません。

 臨床哲学の論文の中で「アダルトチルドレンの回復期」について読みました。そこには、回復論の最終目標として「個人が自分自身を支えて、癒すことができるようにインナーアダルトを育て、自分自身が自分の親になる」こととされている、と書いてありました。

 論文の中で参考資料とされていた、クラウディア・ブラックという方の「Changing Course」という著書。邦題は「子どもを生きれば大人になれるーインナーアダルトの育て方」…邦題にこの訳が採用されたことを考えます。

 自分や、自分の周りで社会的に成功されている方を考えてみると、もれなく「インナーアダルト」が確立されているなぁ、と思わず膝を打ちました。

 確かに、あの頃は辛かった。でも、それはそれと割り切って「自分の人生は自分で作るんだ」と振り切った方しかいないのです。「誰も大切にしてくれなかった自分を、自分自身で癒し、育てるんだ」という決意。言葉は違えど、ほぼ同じような内容を、皆さん仰るのです。立場は、会社の社長さんであったり、役員だったり、主婦だったり様々ですが…

 私も、ある時を境に「自分の人生は自分だけのものだ」と振り切って、虚無感とか喪失感を、他人に頼らず自分で埋める方法を考えた結果が現在の自分であると確信しています。

 「アダルトチルドレンからの回復は、共依存からの回復と殆ど等価である」という説にも、納得です(緒方明1996『アダルトチルドレンと共依存』)。

 生き直し、学び直しは容易ではありません。ふわふわした言葉に踊らされ、インナーチャイルドにしか目を向けていなかった時期も、もちろん経験しました。けれど、それでも私の中に「大人」は出来ませんでした。

 それは何故か?

 結局は「勉強不足」と「経験の不足」です。自分を癒すためになんて言葉をかけてあげたらいいのか、寄り添うってどういうことなのか。そんなことも私は知らなかったからです。

 自分を守るために内に閉じこもっていたはずが、結局自分のためにはなっていなかったのだと気付きました。

 今も、自分が経験してきたことを言葉にするために論文や書籍などを読み漁って、腹落ちさせる「訓練」を継続しています。一つ一つ、結論をつけるようにしているうちに「伏線回収」をしている感覚です。

 どんな人生を歩もうとも、起点となるのは「選択」

 いつか目的地に着くことがあったとしたら、どんな景色が見たいでしょう?










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