発達障害(神経発達症)は治る?

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最近はもっぱらnoteを毎日更新しております。ココナラはブログメインではないため、たまーにnoteから記事を引っ張ってくるぐらいで良い塩梅かと勝手に思ったり。
というわけで先日noteに掲載した記事をそのまま載せさせて頂きます。
↓以下本編↓

どうしてもモヤモヤしてしまうことを書きます…。
賛否両論ある話題だと思いますが、ご容赦ください。

たまに目にする「発達障害治せます!」「神経発達症はこうすれば治療できる!」「ASDを治す方法を教えます!」
といったうたい文句についてです。
各SNSであったりweb広告であったり、ときには書籍のタイトルでも見かけたりします。

当事者やご家族の方などで真剣に悩んでいればいるほど、とても魅力的な響きにみえることがあるでしょう。
ときにそれが心の支えになったり、もしかしたら本当に何かしら効果を生み出すような技法があったりするのかもしれません。
ですので、こうしたうたい文句の方をすべて否定するつもりはありません。が…。

やはりモヤモヤしてしまうのです。
なにがって「治す」という表現についてです。

たとえばですが、お酒が弱く一滴も飲めない人がいるとして。
「飲めないならこうやって治しましょう!」
とは言わないわけです。そもそもお酒に弱いのは病気でもなんでもないので当然です。体質ですからね。
そして周囲の人も、お酒が飲めない人に無理に勧めるようなことはタブーとされる世の中になってきています。
そうすると『お酒が飲めなくて本人が困っている』というケースは少ないわけです。水商売をしたいのに飲めない、接待はお酒が入った方しやすい、という例外はあるでしょうが。

では発達障害(神経発達症)はどうでしょうか。
発達障害はたしかに得手不得手に偏りが出やすいです。健常発達と呼ばれる、多数派の方と同じ生き方では辛いことも多いかもしれません。
ですが、その得手を活かして仕事に活かされたり、自分の好きなことに存分に没頭して楽しく生きたりといった方もたくさんおられます。
発達障害という特性をもった一人一人の方がおられ、発達障害の特性があったからこそ成功を成し遂げた方だっている。

それを「治す」と表現するのは…やはり発達障害を病気として捉え、変える必要があると考えている人の表現だと思ってしまいます。
発達障害が他の内科的な病気などと大きく違うのは、その方の人間性と地続きになっているところです。
考え方や物事の捉え方、性格というように、その人がその人であるというアイデンティティのようなものと密接に結びついています。
そのうえで「発達障害を治せますよ」と言うのは、その人そのものを否定してしまう可能性もある気がしてなりません。
「え、私って治らなきゃいけないの…?」「うちの子どもをなんとか治さなきゃ」と傷つく人だっているかもしれないわけです。

理想論かもしれませんがもし、お酒が飲めない体質と同様、周囲が正しく発達障害について理解でき偏見もない社会ならどうでしょうか。
たとえばお酒が飲めないAさんという方がいるとして、Aさんには様々な選択肢があります。
「お酒が飲めないから飲み会に行かない」
「飲めないけど楽しいから飲み会に行く」
「飲み会には行くけど飲めない人のグループで固まる」
そしてこれらの選択について、いちいちケチをつけられることは少ない社会となってきました。そうすると、Aさんとしては飲めないことを引け目に感じる必要はありませんよね。
でも考えてみれば、ひと昔前だとアルハラという言葉があったり、飲み会を断ると面倒だったかもしれませんね…そういう意味では、発達障害に関する見方もそれぐらい変わってくれるといいのですが。

もちろん、発達障害の有無に関わらずですが、その方の性格や能力があるので社会生活の中で息苦しさを感じる場面も多々あるでしょう。
そこを補うための知識やテクニック、環境調整というものを知っていくことは大切です。
発達障害がある方はその方法を知る機会が健常発達の方よりも限られています。学校や会社の中でガムシャラに努力するだけでは苦しくなるし、自分を責めてしまうことにもなりかねません。
そこをサポートするために専門家がいるわけです。

ですので、周囲は障害特性を一つの個性として受け入れ、当事者は自分の特性と上手に付き合う方法を知る。
大事なのはこれではないかと思っています。

第一、発達障害というのは制度上区切りをつけないといろいろと不便なので診断基準を作り定義があるわけですが…。
健常発達と呼ばれる人々が=正常ということでもないと思います。
健常発達は多数派とは呼べると思いますが。
それ以上でもそれ以下でもなく、多数派なだけです。人数が多いので、社会は多数派が正しいかのように作られています。
実際には発達障害があるうえで、気立ての好い関わりやすい人間もいます。こういう人になりたいな、と尊敬できるような人もいます。
逆をいえば健常発達ながら、この人はマネしちゃダメだな…とか、人として尊敬できないな、と思ってしまうような人もいます。

この話題、書けば書くほど延々と思うところが出てきそうなのでひとまずこれぐらいにしておきますが…。
やはり僕としては、発達障害を「治すもの」と考えるのは違うし、「治したほうが本人にとってもいい」と感じさせるような社会も悲しいなと思ってしまうのでした。
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