笑いヨガ?

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楽しいから笑うのか、笑うから楽しくなるのかという問題はウィリアム・ジェームズも取り上げた19世紀から続く一大テーマです。 原文は下記の文章らしいです。
We don’t laugh because we’re happy – we’re happy because we laugh.
(楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ。)
   最近では「顔面フィードバック仮説」というのが流行っています。どんなことかというと唇に触れないようにペンを歯で加えると、ニッと笑ったような「笑顔」になります。この顔の状態のまま漫画を読むと面白さが倍増するということを研究した(笑える)人がいました。(Stracket al., 1988)。 最近、昔からある学説を再検証しようという動きが活発らしいです。「顔面フィードバック仮説」もその対象になりました。17の研究室が共同でやったそうです。で・・・結果は・・・結果はですね、統計学的な数値としては、そんことはないよ(ネガティブ)、という数値になりました。(Wagenmakersら.2016) 笑えない数値に出かけた笑顔もいっぺんに凍りつく。 (~_~;)  ところがこの結果に触発されたのか、待ったをかけたいのか、新たな調査研究が始まりました。今度は「顔面フィードバック仮説」に対して支持的なグループと、懐疑的なグループの共同研究が始まりました。2019年に予備実験の結果が報告されました。結果は・・・。なんと・・・行けそう(ポジティブ)。最終報告はどうなるのでしょうか???

  6年前くらいのことですが京都にある生長の家、宇治別格本山へ、見学に行ったというか参拝に行きました。私は生長の家の信者にはなったことがありませんが、高校生のときに生長の家の創始者、谷口雅春先生の著作を読んで以来、時々、思い出したように谷口雅春先生の著作を読んでいます。非常に偉大な方だと尊敬しています。京都、宇治別格本山へ伺った頃は真言密教と生長の家の教えの類似点に興味を持っていました。
 最初に入り口近くの建物で教師資格を持っている人にいろいろ説明をして頂きました。説明を聞いたら自由に見て歩いて良いということでした。信者でもないのにお昼ご飯まで頂きました。たったの200円くらいでした。当然ですがレシピはほぼ菜食主義者用になっていました。菜食主義の私には嬉しいメニュー。

昼食後、宝蔵神社を参拝。ちなみにこの日の夜、夢をみました。私はでっかい神殿の中にいました。神殿のなかなのに何故か青空が見える。私は青空のかなた向こうにおわす神に向って大声で何か質問をしていました。すると天空の姿なき神がそれに答えてくれました。そしてまた私は大声で天空に向って質問をしました。そうやって私は天空におわす神とやり取りをしたのでした。久しぶりにでっかい夢を見ました。
   宝蔵神社を参拝した後、敷地の奥にある「神癒の社入龍宮幽斎殿」に行きましたが、当時は改装中で一番重要な真ん中の部屋へは入れてもらうことが出来ませんでした。
  敷地内を歩いていると、「練成会」に参加していると思われる人たちが「笑いヨガ」みたいなことをやっている場面に出くわしました。 講師の先生がやって見せる。
  「ワ、ハハハ」  そして練成会の参加者と思われる人たちが、それに続いて一斉に笑い出す。 「ワ、ハハハ」  その頃、生長の家では「笑いヨガ」が流行っていたのでしょうか。廊下を歩いていても「笑え、笑え、〇〇〇」(何と書いてあったかは忘れました。笑え、笑え、笑いたおせ、だったかも)みたいな標語が、他の標語に交じって、あちらこちらに貼ってありました。生長の家では今でも「笑いヨガ」やっているのでしょうか?
   私も「笑いヨガ」をときどき、思い出したように、やってみます。確かにその時は気分がスッキリしたリスのですが・・・その場限りの効果しかないような気がします。人それぞれだと思いますので、皆さんも試してみて下さい。
   私に対しては「笑いヨガ」は永続した効果がないみたいです。皆さんはいかがだったでしょうか。そもそも「笑いヨガ」には限界があるように感じます。一度、冷静に考えてみましょう。
   それでは「笑う」ことによって得られる感情を「ポジティブ感情」とすると「ネガティブ感情」は重要ではないのでしょうか。そもそも「感情」とはどのような働きをしているのでしょうか。ネガティブ感情として以下のものをあげることが出来ます。「怒り」「嫌悪」「恐怖」「悲しみ」「驚き」「軽蔑」「罪悪感」「羞恥心」。それに対して「ポジティブ感情」としては「喜び」「受容」「予期」「興味」をあげることが出来ます。そして「予期」「興味」は非常に似ているといえます。感情と言うのは以上のような基本感情があって、それが融合、派生してさらに種類が増えると考えられています。一見して分かるようにネガティブ感情の方がはるかに種類が多いのです。
   「ポジティブ感情」と「ネガティブ感情」はそれぞれ役割が違います。例えば密林の中を歩いていたとします。突然、木の上からでっかい何かが、ドカンと落ちてきた。さて「逃走か、攻撃か」という判断を瞬時のうちに行わなければなりません。こんな時に働く感情が「ネガティブ感情」です。「あ、何かが落ちてきた、何かな(ニッコリ)」では人類は生き残れなかったかもしれません。
 「ネガティブ感情」は生きていく上に必要なものなのです。 私は映画「ターミネータ2」の中で使われた言葉をときどき思い出します。
            「怒りは絶望よりもましだ」
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 密教では怒りを無理に抑え込まなくてもいいと教えています。怒りは清らかな生命の躍動であると説いています。怒りを忌み嫌う必要はないというのです。怒りは止むに止まれぬ慈悲となり、愛情として現れてくるものなのと説いています。そのように考えてみると『笑いヨガ』というのがあるのだから『怒りのヨガ』もあっていいのではないでしょうか。(オウム真理教ではやっていたかもしれませんね。オウムはここでは除いて考えますね)  
『怒りのヨガ』やってみたいですよね。皆で一斉に怒鳴る。 『こら~!』。
気持ちよさそうですよね。このブログを読んでくれた皆さんで、日比谷公園辺りに集まって、一斉に***てやってみたいです。

『こら~!!!』

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『あ~、すっきりした』
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