ハイデガーの先にあったのは懐かしい景色だった

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コラム
西洋の哲学は「存在を忘却」していた。
それを「時間」から考察した。

基本路線はアリストテレスが持ち出される。
この時間論は等質空間が倍数的に延長される。
(英語では5倍という時、5 timesと呼ぶ)

さて、ややこしい考察がだらっと並ぶが、これまでの哲学が語ってきたのは図と地の関係でいえば「図」の方でズ〜っと「地」を見過ごしていた、と言いたいのではないか?いや、むしろそうだろう。

占い界隈では最初に生まれた神は「ホーラ」という「トキを司る」神様で、日常的に「今は我慢するトキ」とか「今は恋愛に集中するトキ」みたいに感じ取っている。

実存主義というとすぐに「生きる意味は?」とか重たい方面に流れやすいし、正直めんどくさくてうざかった。

で、この「生きる意味は?」を「今、何をするべきトキ?」とすげ替えてみると・・・

あら、不思議!

いつも行なっている「占い」じゃないか!と気づく。

ユングやライプニッツがなぜ「易」を賞賛したのかもうなづくことができる。

ハイデガーの哲学批判の先には手付かずの「トキ」が待ち受けていた。
そんなことを言ってしまうとロジックバリバリの諸兄たちはしかめ面で私を処刑するだろう。

でも、だがしかし、これは当然の帰結であると「ときめいてます」





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