智慧よ、智慧よ、完全なる叡智よ

記事
占い
* 以下特定の宗教を称賛したり推奨する意図の記事ではありません
例えば引き寄せだとか満月のアファメーション云々とかと同様、
こうだよ、と言ってる人の話を聴いた私の感想、と思って頂けると助かります


占い師だけど猫を飼ってるのが関の山で
全くスピリチュアル的ではない白猫メオです (´⊙ω⊙`)

もう恐ろしいほど縁起を担いだりしない (´⊙ω⊙`) 
ゾロ目見た時に何かあったことが多いので、
ゾロ目みたらピンと来た気になるよう心掛けているくらいです。

でもタロットはそんな適当な私にもすごい力を貸してくれるので、
タロットの浄化とリセットであるシャッフルとカット(占いの前にカードを混ぜる・混ぜたカードを3つの山に分けてまた重ねること)は
めちゃくちゃ集中してやっている。
この時に内心でブツブツと、ご依頼者さんをカードに紹介し、
ご依頼内容を伝えます。

私はそもそも占いとは、自分の心を決めるためサポート程度であるべき、
と思っているので、あまり的中させようとは思ってません(いいのか)
が、それでもタロットはドンピシャな事をポーンと伝えてくるので、
いい加減な私も真面目に向き合わざるを得ないんですよね。

なので結果の如何に関わらず、不吉なことを吹き込む呪術師にならないよう、
どんなご依頼にもフラットに接することができるように、
Negativity(否定性・消極性、いわゆる後ろ向き)マインドを取り除く、
などと書かれている海外のヒーリングミュージックを聴きながらやってます。

それ以外でよく聴くのがこれ

お経ってたまにお葬式やら法事で聴いたりすると、
めっちゃ持っていかれる感ありますよね
たまにTVなんかで永平寺とかの僧侶集団の読経とか聞くと

いまメオは涅槃・・・ (´⊙ω⊙`)

と思うくらい持っていかれる感があります。
除夜の鐘もヤバイです。毎年持っていかれてます。
(それは煩悩の塊だからかも知れないけどw)

まあ神社で祝詞や雅楽聞いてもやっぱり持っていかれてるので、
この持っていかれやすさが私にとっての霊感なのかも・・・(適当)

国が出来た時から神様はおはすのや、
むしろ何にでも神様が宿ってる神様の人口密度高い国、
それがジャパンなので、もう神道に持っていかれるのはDNAとして、
外来のお経、しかもサンスクリット語を中国経由で無理やり漢字に当て字してるお経に持っていかれるとはどういうこと?と思うんですが、
西になんか悟り開いた物凄い人とその教えがあるらしい!と聞いて旅立つ、
西遊記でお馴染みの玄奘三蔵法師の時代は、
地球の歩き方も翻訳して喋ってくれるGoogleもなかった時代なので、
聞いたはいいけど他言語を持って帰るって、とんでもない苦労があり、
三蔵もお経のリズム感と覚えやすさにはめちゃくちゃ気を使っていたらしいので、ある意味元祖ラッパーなのかもしれません。

それでこの般若心経なんですが、
結構長いんだけど実はタロットの世界とも通じるものがあると思ってて、
それはまた気が向いたら語ろうと思うんですが、
般若心経ってそもそも何言ってんの?ってのを、いろんなお寺さんのHPやら
個人が解説したりしてるのを読んだりしてるんですけど、
かなり大胆だけど般若心経のスピリットは最も伝わる、と思う
数年前にネットで話題になった現代語訳あげておきますので、
気が向いたら読んでみてね。

クリスチャンの人は聖書何度も読んで、
何か悩みがある時とかは開いたページ読んでなんか悟ったりするらしいですが、お経にも同じ効果はあるようで、私は毎回、どんな訳を読んでも、
刺さる場所が違うような気がします。

また仏教とは

”これこれこうなので悟らないと苦しかったりするんですけど、
悟れなくてもそれまた人間の自然な姿なので気が向いたらやってみてね”

的なところがあると個人的には思っていて、
仏教的にはとてもありがたい真理・経典ではありますが、
押しつけがましさがなくてそれだけでなんかほっとするので、
気が向いたら読んでみてくださいね。
(なお文中に菩薩として生きるとか仏陀になるとか書いてますが、
 これは仏様を目指すという意味ではなく、悟りの境地で苦しみから
 解放された状態、と脳内翻訳するとよりわかりやすいです)




超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、
全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。 

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