なぜスピ系は曖昧なのか?

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スピリチャル系は

曖昧なニュアンスのまま

押し通しているものが多い

そんな気がする



インドの神秘家和尚OSHO

の講話も難解なのだが

彼の場合だけは別だ

OSHO本人も講話の中で

「あなた達のマインドを混乱させるために

  わざと難解な言い回しを使っている」

と言っている

彼は行間を聞け、その静寂を聞けと言う



覚者の多くは

それを語ろうとはしない

釈迦もOSHOもその一人であった

しかし、彼らは伝承する責任を背負った

それ故、わからんちん共にも

何度も何度も繰り返し

その真理を伝えようとした



しかし

これは覚者の場合のみだ

スピリチャル系に関わる

ほぼ全員と言っていいほど

ほとんどの人たちは

その真理を理解していない



そもそも

「私」とは何か?

その答えにすら辿り着いてはいない



もし、あなたに先生や

スピリチャル系の指導者がいるなら

試しに尋ねてみるといい

「私」とは何か?

「愛」とな何か?

「神」とは何か?

そして「真理」とは何か?を



多くの人は

この問いに答えられない

明確に、矛盾なく

しかも的確に答えられる人は

まずいないと言って過言ではない



その答えは

あらゆる問いに対し

適応しているだろうか?

その答えは

あらゆる疑問に対し

紐解いてくれるだろうか?



「真理」とは何かを

「私」とは何かを

「愛」とは、「神」とは何かを

知っている者だけが

本当に理解している者だけが

それに答えることが出来る



それは

「体験」を伴う必要がある

それは

「経験」を経る必要がある

知識だけの者たちには

それを応用することが出来ない



本当に理解は

体験を通してのみ訪れる



「小悟」ですら経験していない

エセスピリチュアリストが

あまりにも蔓延しすぎている



彼らには

OSHOの言葉を読み解くことが

覚者の言葉の意味を理解することが

本当のところ出来ないのだ



だから

エセスピリチュアリストは

曖昧な表現を使う

分からないのだ

知らないのだ

経験してすらいないのだ



けれども

スピリチュアルの基礎を

知ることで補える



OSHOの言葉が

行間と共に飛び込んでくる

覚者の言わんとしたことが

理解と共にやって来る



だから

一等最初に

「私」は誰かを

「私」の正体を

知ることから始めるといい



あなたの軸が

あなたの核が

あなたという本性が

何なのかを理解することから

真理の扉は開かれるだろう



LOVE Charam



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