自己紹介 普通の人生を歩むはずだったのに…

記事
コラム
はじめまして、ココナラ0→1の専門家でやらせて頂いています

まさみ と申します。

この記事を見て頂き、ありがとうございます。
今回は、自己紹介の記事です。


この記事は約7分で読むことができます。


普通の会社員が病気を期に、
生き方を変えたお話です。

きっと皆さまも
病気などの人生を変えてしまうような出来事を
不安に感じると思います。

読んで頂けるとわかるとは思いますが、
私が最終的には、こうやって皆さまにお話ができるまで回復し、
なお生きていることを知って頂ければ、
少しでも何かの参考になると思い、書いております。

この記事には、
人生のためになるマル秘テクニックということは書いておらず、
ただ私のことが書いてありますので、

「興味ないよ!」という方は、
人生の大切な時間をこの記事には使うべきではありません。
ページのバックをお勧めいたします。

では、どうぞご覧ください!

幼少期~大学


では、一気に20歳くらいまでを

幼少期は大変体が弱く、喘息の発作に苦しむ健康とは程遠い少年。

小学生、中学生と公立学校に通い、次第に体力もついていったので、喘息の症状はだんだんと収まっていき、やっと健康状態が普通と言えるまでなりました。学校の成績も、普通の少年。

高校は地元の公立高校に通っていました。レベルとしては、中の中。これまた普通。ですが、ここでちょっと変化し、私の成績はトップレベル。テストは常に指で数えられる上位。ちょっと勘違いして、「将来は弁護士になる!」とか言ってました。

大学は、一応有名な大学、明治大学法学部に入学。「弁護士になる!」といいながら、勉強をせず、バイトばかり。

というのも、学費を自分で払うという条件で大学進学をさせてもらったので、毎日のバイト、学業は二の次、になってしまったので、本末転倒。
そんな意思の強さのない青年となりました。

社会人


外食企業に就職

大学を卒業後、外食企業に就職。

なぜ、外食企業だったのかといいますと、

・他の人と違うことをしたかった
・金融業界を目指していたが、ここでは居心地が悪そうだと感じた
・起業をしたいから、お店の運営をしてみたかった

ということがありましたが、今では、間違っていたなと。

その理由は、「合わない」でした。

仕事をしているうちにこう思うようになりました。
「自分は、好きな人としか働きたくないし、お客様も好きな人しか相手にしたくない。それ以外は、つらい…」と。
その代わりに、「会いに来たよ~」って言ってくださるお客様には、めっちゃサービスしていました。

それは今も続いて、良くしてくれるお客様には、すごくサービスしたくなりますし、実際にサービスしています。

評価をあまりされなかった


自分は有名大学を出ていて、勉強ができたので、
すぐに出世できるだろうと高をくくっていました。

ですが、そんな予想に反して全く評価されない日々が続きました。

かわいげのない部下だったんでしょう。
勉強ができてちょっと反論とかをしてしまう性分でしたので…

今ではわかるのですが、
「コイツ、伸びないだろうな…」の典型ですね。
勉強ができることと評価されることは全く違う能力です。
それを知りませんでした

やっと昇進


そんな伸びない社員のレッテルを貼られていただからでしょうか?
社内でも
「この人は出世するだろうな」
という超デキる方の下に行かされました。
その方の指導は厳しく、まさに、修行。

この時は、本当に死ぬかと思いました。

実際、周りはどんどん辞めていき、残ったのは私ひとり。
そんなこんな鍛えられ、やっと店舗マネジャーへと昇進できたのでした。

ガンが発覚


やっと店舗マネジャーになり、お店の運営もちょっとうまく回りだした、そんな時でした。

”舌が痛っ!”

舌の痛みは、日々増えていく。
さすがに

”ヤバいかも”

と思い、病院へ。

そこで言われた、

「十中八九、ガンですね」

忘れられない。
舌がんになりました…

絶望の日々


やっと会社でも評価されるようになり、
店舗マネジャーになって2年、
ココからという時にガン…

しかも、あまり聞いたことのない
「舌がん」

もう不安しかなかった。

不安の中、手術、リハビリと進んでいくのですが、
正直、記憶にないんですよね。

つらいことは、極力記憶が消えていく、人間の防衛能力なんでしょう。


その中でも覚えているのが、
幻覚を見るわ、
しんどいのに毎日の病院通いだわ、
話せないわ、
味がわからないわ(舌をほとんどとってしまったので)

ここでも死ぬかと思いました(3年ぶり二度目)

社会復帰


リハビリも進み、さて、社会復帰しましょうということになり、
元の会社に復帰します。

しかし、
1年ほどで辞めてしまいました。

理由は、体力的、精神的な限界が訪れたからです。
ちょっと重いのでここでは割愛しますが、
要は、色々とヤバかったのです。

辞めた後は、
話せない、
体力ない、
お金ない、
スキルもない
状態でなので、とりあえずできることを探してフリーランスになります。

ガンを克服して、やり直すんだ!

なんて、ポジティブな意気込みなどなく、
ただやるしかなかった、フリーランスを。

フリーランスになった


フリーランスにはなりましたが、できることがない!

ですので、まずできることを探すことから始めることにしました。

ブログ
せどり
プログラミング
ライティング

色々やってみましたが、
この中では、プログラミングが一番合っていたので、学習を続けけ、
その中でもPythonをメインに取り組んでいきます。

ココナラでweb系は超レッドオーシャン


「結構、Pythonできるようになったぞ!web開発をしよう!」と、
ココナラに挑戦するも挫折します。

競合多すぎ…ムリ…

超絶なレッドオーシャンでした。
そもそもが初心者がいきなりこの分野でフリーランスになろうなんて、裸で富士山に登るようなもの。

無謀過ぎます。

ココナラでの戦い方を変えた


ココナラでweb系のお仕事はレッドオーシャン過ぎて、
私が挑戦するには無謀、どうしたものかと。

そこで私は考えます、
「誰でもできること」をやればいいのではないかと。

誰でもできそうなことを探した結果、
「リサーチ代行」に目が留まる。

これがうまくハマりました。お仕事は来るのです。

ですが、最初はもちろん誰もが通る
”時給50円?”
ってレベルの修業期間があり、
苦戦も当然のように経験してきました。

ですが
ある時に、グッと成果が向上するようになってくるのです。

作業のテンプレートが増えてきた、
学習してきたPythonを使っての効率化を進んだ、
そういったことを経て、高速作業が可能、こなせる案件の数も飛躍的に上昇したのでした。

普通に人がやるよりは圧倒的に速くできる、
それが私の価値提供となったことを理解し始めます。

その後、自身の価値提供の方法がわかると、
収入も増えていくのでした。

月に30万円。
一年間のトータルで100万円を超える様にもなりました。

稼いで犬を飼う


ココナラで一気に成果が出たので、違う挑戦をしていきます。

再現性はあるのか?
誰でもできるのか?

そこで、いくつか同じようにできるのか試し、
4つほど0→1を達成できたので、
「これは他の人もできるのでは?」と考え、
妻にハンドメイドの副業をするよう勧めます。

最初は、
「めんどくさい~」
と言ってやってもくれませんでしたが、
いざ実際始めると、これがハマったようで、

その後は、

楽しそうに新しいアイデアを教えてくれたり、
購入があるたびに嬉しそうに報告してくれるようになりました。

今では、月に1万円の副収入があり、そのお金で保護犬を引き取り、一緒に暮らしはじめます。

実は、犬を飼うことは妻の念願で、
私の家庭の生活は一気に、豊かになっていきました。

みんなで豊かになれる?


”稼げるようになり、
それを他の人に教え、
その人の生活をより豊かにできた。”

妻の副収入を作ることができ、犬を飼い、楽しく生活できるようになった。

その経験で、おこがましくも
「もっと生活を楽に楽しくできる人を増やしたい」
と思うようになってしまいました。

私は、「がんでも、もう一回、人生を輝かしたい!」という想いで、
成果が出ない日々も耐え、稼ぐ方法を身につけてきました。

そして、「みんなで豊かになりたい!」という想いで、
今、『稼ぐ』方法を発信しています。

ちなみになのですが、
現在、ココナラの方は、だいぶ成果が落ちていますので、
ご確認頂くともしかしたら不審に思うかもしれません。

成果が下がっている理由は、受注を最低限にし、
昨年1年間は学習に当てていたためです。
収入源を失くしてまで取り組んでいるので、
その本気度がお分かりになると思います。

終わりに


長々書き綴ったものをここまで読んで頂き、
本当に感謝申し上げます。皆様、お優しい方ばかりですね。


以上が私の自己紹介です。


例え、病気で「もう終わり」と思ったとしても、
少しくらいは足掻いてみたいじゃないですか?

それでやってきたガンからの6年間でした。

少しでも、何かの参考になれば幸いです。

もしよろしければ、コメントなど頂ければ、嬉しいです。
ぜひお返しさせてください!

ここまで読んで頂いた方、本当にありがとうございます。
そして、今後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す