アイデア発想自体は論理的だが、アイデア生成は直観的

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これは前から思っていたのですが、いくら論理的に段階的にアイデアの発想の仕方を説明しても違和感があったんですね。それは、例えば自分のやり方を説明する時に「えーと例えばAですよね。となるとBみたいなものがでてくるので」という時、「A→B」って流れは全然論理的じゃないよね、連想したりかなり飛んでいるなあというところでした。

その実感があるのでではそこをもっと細かくしていこうというところだったのですが、おそらく神経学とか脳科学とかでも最新の研究が反映されるのは時間がかかるので、シナプスがどうとか、神経物質がどうとかはものすごく期待しています。ですが、現時点では直観的と言わざるを得ないと。

おそらく多くの人にとって、論理的とか直観的とかはどうでもよくて、じゃあどうすればアイデアは出せるか、出しやすいか。ということだと思います。

結論は、結局変わらずで、日々楽しむ、観察する、体験をしっかりする、面白いことをやる。そうやってストックを増やして、アイデア生成時にびびっとくる、思い出すものを増やすということをするしかないというところです。

アイデア発想全体は論理的

まず全体が論理的って何かというと、これは今までいっている、インプット→思考→アウトプットという手順です。またはフェーズ毎に段階を追うなどです。実践ではそんなの関係ないのですが、この流れはありで問題ないと。

なのですが、思考フェーズなどにおいてはかなり非論理的です。少し説明したスライドがあるので貼り付けておきます。
2023-07-26_12h54_21.png
いきなり、コップとか鉄火巻とか言われてもですけど、まあそうですよね(笑)
これを簡単にいえば、アイデアを出そうとする時、連想とか直観とか、色々な脳の中で処理されると。ただこう書くと「頭だけ」と思われるのですが、手で触ったり、見たり、腕を組んだり、色々な身体的な動きで、認知の手がかりをしていると思うんですね。コップというイメージを思い浮かべるだけがダメなのでなく、コップを触ったりとか、ゲームやアニメに出てくるコップをイメージしたり、音としての「コ」「ッ」「プ」としたり、それはもう様々です。そういうどんどん拡散していくと思われるところをここでは拡散思考と呼んでいるだけです。

話を戻すと、こちらが全体は論理的だが、思考部分は直観的というスライドです。
拡散思考と集中思考.png
当然ですが、僕はここで、論理的である発想法をさらに分解して、「思考」フェーズを分解すればさらにどこまで細かくできるかを考えてきました。それは間違っているわけではないんでしょう。ただ、どう考えても、頑張っても(笑)無理なものは無理だろうと。
諦めるとは、明らかに見極めると言われますが、まさにここで明確になったんですね。

「あ、これ全然論理的じゃないね」

というところです。これは別に論理的でないからダメとか、良いとか。直観的だから良いとかダメとか。そんな話ではないですよ。

文字通り論理的に出来る部分と、出来ない部分があるということがこれで明確となりました。

直観的であるアイデア生成を鍛えるにはどうすればいいか

直観とは、その人の主観、感覚に頼るというわけです。
例えばお腹が空いた時は色々な食べ物を美味しく感じるし、食べたいと感じる。まさに気分屋です。そうやって常に変わるのが直観でもあると。ムラがあるのを評価しない人もいますが、ムラがあるからそこをどうパフォーマンスとして高めていくかって感じですね。ムラがある前提で、という意味合いです。

ですので、何か連想してと言われなくても連想する訓練をするというか。思い出せるようにするってことですね。問いかけとかでよく言ってますが、「ある問いかけ」を変換して、違う問いかけにしてみるとか。それも直観的だと僕は思います。論理的でやるものではないと。

オズボーンのチェックリストのようにですね、「大きくしてみたら」という問いかけはありなんですよ。でも、大きくすることで何を想像できるか?これって答えはないので、正解もなにもない。その時「こうすると面白いだろうなあ」とかは、説明できないんですね。面白いと思ったから。まさにどうして山に登るのか、「そこに山があるからさ」であって、理由が意味がないというか、機能しない状況です。

だから、日々の面白いことを集める、体験する、しっかり自分と、社会と、起きていることをちゃんと見る。そういうことになります。これはコミュニケーションでもいいし、現実とちゃんと向き合うことになります。ちゃんととは「さあ、向き合うぞ!」みたいな感じでなく、まさに具体的なところでいえば、「挨拶をしっかりする」とか「気になったことをメモする」とか、「面白いと思ったことを誰かと共有する」とか、かなり細かい話になります。

ここでまさにそれ自体がアイデアに役立つか、特に直結するかの保証はないです。むしろないからこそ、その人の直観データベースが作られる。その人らしいものが作れるわけです。それが何かルール、または説明可能な何かだとちょっとおかしいというか、ズレてくるというか。最もリサーチとかインプットでそうやってやるのでそれを否定するわけではなく。純粋なアイデア出しとして、どう日々を過ごすかというマインドセットの話として、さらに軽い動きとしてはそうなるよな、という話となります。

よって、結論は変わりません。今まで通りで、日々楽しむこと、経験を楽しむこと、人との違いや観察をすること、何が起きて何がどうなっているかを好奇心で見ていくこと。まさにこれがアイデアの源泉であり、姿勢そのものがそうだといえます。

逆にいえば僕のやり方は僕の観察する範囲では合っていることになります。ただこれが誰にとっても万能でOKなやり方とは言い難いので、これも一意見ですし、この直観と僕が言うことも「論理的に分解」する人もいるかなと思います。ただその説明で、論理的に証明できるアイデアは多分無理で、なぜなら「非論理」的なものでないと、人は面白いと思わないし、感情が動かないというところです。なんでアニメに映画に接客に感動するか?理由なんて色々言えても後付けなんですよね。絶対ではないですけど、後付感があるところで、やはり最初に来るのは感覚や直観で、その後に色々つけていると。

留意は感情や直観だけで生きてくださいとか、それでアイデアを全てやろうということではないです(笑)なぜなら、論理的に例えばインプット数が少なければよりアイデアも生まれづらい。鍛錬の数が少なければやはりなかなか弱いわけです。これは定量的にも言えるかなと。

というわけで、かなりアイデア思考としては細かい話ですが、これらのアイデア出しを説明しづらかった人には朗報だと思っていて(笑)これで直観部分があれば、そこを一発でクリアするやり方=思考法、アイデア発想法ではないということが一発で言えます。分からない人には分かるまで説明するという感じでやりつつ、あとはどこまでこの「あー直観的なところでやると出てくる」というのを分かってもらえるかですよね。

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