こだわりをもって貫く

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コラム
ある飲食店が流行らなかったのか、一旦クローズしたんですね。でもまたリニューアルして復活という話です。

ここから言えるのは、飲食店経営の難しさというのもありますが、どちらかというと狂気という良い意味でですね、こだわりは粘りって大事じゃないかと。

その点を考えてみたいと思います。

粘りに粘る

ダイヤのAという漫画をたまたま読んでいるのですが、まだ前半ですね。更新出場をかけた練習試合から予選までのところです。ここで思うのは、野球漫画って色々あると思うんですが、やはりいかに練習しているか、そして技能もあるんでしょうが、それが本番で出てそれができるか。

当たり前ですが、やられたくないことを想定してやる。つまり嫌がらせですが、言葉として取り上げると駄目っぽいですが、実際に試合であれば敬遠(投手が三振や打たせてアウトにするということでなくフォアボールなどで勝負しないこと)もありだよなと。

でも、まあ超外野的な位置からすると面白くないわけですよね。実際の甲子園でも話題になったような。詳しくは知らないですが。

それはいいとして、野球もですが、粘りに粘るなあと。想定外のアクシデントがあっても、それこそ投手はメンタルだなあというのが前半を見ていて感じたところでした。

狂気を感じる粘りでいい

インターネットが誰でも使えるようになって個人の狂気も露出するようになった気がします。多分ですけど。それを良いと捉えることもあれば、見せなくても良いこともあったりしますよね。

実際に見せられるのはそれでも一部で、先でいえば野球部の練習を全部見せるとかって出来ないわけです。実際にインスタグラムとか動画、またはYoutubeで24時間動画を撮ってとかもできるわけですが、生活を破壊しそうですからね。あと単にバッテリーが持たないかもしれませんね(笑)

そういうゴク一部しか見えないところで、いやそういう見えないところがあるからこそ、面白いのかなとも思ったりするわけです。

狂気自体はクレイジーくらいで、なんでそんなことをしてるんだみたいな話が近いです。全力で暇つぶしをするとかも面白いですし狂気を感じます。

ここで何故粘れるか?みたいな話になって、それがないと嘆く人もいそうですが、そういう狂気とか粘りって、かなり地味でそんなのでいいんだ、それにこだわるんだみたいなものがありそうです。僕の推測です。

つまり、自転車駐輪場で綺麗に並んでいないから一個ずつ整理し始める。これを毎回やると生活に支障が出るのでやれないですよね。でも仕事としてやればできるかもしれない。実際に整理の仕事があるかはおいておいて、一つの切り口として。それを自動化してもいいし、斜めに線を引いて整頓してもらうことを促すのでもいいですからね。

ここで狂気とか粘りとかって結果の行動でなく、そもそも「なんか曲がってるのがヤだから」みたいなところが「何気ない」「地味」な何かってことです。

こだわりは目には見えないから大事かも

こだわりって見えないです。狂気を持ってやれる人が地味な「何か」を絶対持っているというわけでもないです。例えばです。

そしてこのこだわりとかやろうということって、見えないじゃないですか。見えないのでないと思っちゃうというか。でも、見えないけどあるんですね。精神にも、地味でもなんでもいいからある。

見えないところを拠り所にするというのは精神世界みたいな話なのでなんともですが、「見えない」からないとは僕からもいえないなあと。あるんですよね(笑)スピリチュアルとかではなくて。

見えなくてもいいじゃないか。その粘りや狂気じみたものというのがあってもそれを貫いていくと何かいいことあるかもね?というのが今回の締めです。

実際に芸は身を助けるではないですが、どこで何が価値を見出すかなんてわからないです。どんなに優れた人もそれはわからない。AIでもわからない。であれば、自分がハマることやそのやっていることを無下にせず、蔑むとか自虐とかもなくして、純粋にそれを楽しんでしまえばいいのかなというところでした。
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