アイデアと遊びの共通点

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今回は、アイデアと遊びの共通点というテーマで書いてみます。

「どうやって遊ぶ?」=「どういうアイデアにする?」に近いと思っていて、遊び方=アイデアの出し方と考えると、遊びにもアイデアにも正解=唯一の解はなく、その時々によって違うことがわかりそうです。

ここで遊びを「子どもがやること」という理解や認識でいると、それだけで枠が狭まるので、この点に限らずですが、「今認識していることは、ごく一部なのだろう」くらいのほうがオススメです。まあ全て分かっているみたいな人で、まずアイデアマンはいないと思うのでこれも面白いところです。

さあ、遊びましょう?何したらいいのって聞く子どもはいるか?

子どもは遊びの天才かなと思います。とはいえ、そういう子どもも小学生くらいでは、なんか単語を連呼するだけでケラケラ笑っているはずですが、どこかで「ちゃんとしなさい」という大人=主に親のメッセージを暗に受け取り、その期待通り振る舞うようになると。中学くらいでもまだ余地はあれど、「遊び」って減りますよね。

同級生でもそういう遊びに対して「ガキだな」という雰囲気も出てきたり、逆に「大人っぽい」のが、カッコいいというのも出てくる。

これが駄目ということはないんですが、まさにこの「ガキだな」に「子どもらしさ」が消えると。そこで消えるのは「遊び」的考えも消えることは結構問題かなと思います。

ここにおいて、ロックンロールであるとか、なんか社会への反抗みたいなもの、不良になれ!ということはないんですが、「親や大人のメッセージが社会である」と曲解してしまうとわりと悲劇だろうなあと思ったりします。

話を戻すと、「遊ぼう」といって、「何したらいい?」っていう子どもはまずいないはずです。ただ、高校生くらいになると、「子ども」が消えて、「何しましょうか」ってなりそうです。この「何しましょうか」は誰かを配慮してどうとかもありますが、純粋に「何をしたらいいか分からないので教えてください」となっていることもある。

そういう感じで大人になる、例えば社会に出る=働くみたいなことになると、「アイデア」を出すということはまずなく、それこそ起業とか、商売をやるとか、ビジネスをするとか、クリエイターになるとかでないと、アイデア自体を考えることがまずなくなるのかなと。

そうです。まさにそこで「アイデアってどうだせばいい?」と聞いてしまうわけです。それは悪いことではないんですが、子どもが遊びの仕方を、遊び何しようかって言わずに勝手に遊ぶようなイメージを持ってください。

まさに、「アイデアとか出し方なんて」おいておいて、「こうしたらどうかなとか、こうしてみました」ということが、アイデア脳といっていいし、アイデア体質を会得している人といっていいのかなと思うわけです。

遊びをするようにアイデアを出そう

ここでも一応言うと、遊び≠仕事という認識があったりしますが、これはやはり違うなと僕は考えています。

おそらくですが、子どもに砂場を与えたら、1日中遊んでいるはずです。そこから何でも遊べるといえるから。これをやろう、次はこれをやろうって。まさにこの感じです。夢中とか熱中という言葉で表現するのも適切かどうかも怪しいくらいに。

遊び≠仕事という人は、おそらく仕事における印象や体験がネガティブだったりするのかなと。その上で、遊びを子どもだけのという認識がある。そうすれば、どういう理解をしているかというと、こうなるわけです。

「遊び的な子どもがやるような自分が考えてただ楽しむような行為」は、「仕事的な誰かのために価値を提供してお金をもらう行為」とは別だと。

確かにまあその面はあれど、これは一部でしかもないと。

例えば砂場で、砂の城を作ろうというとき、知らない子を誘って一緒にやろうといったり、城は難しいから(年齢的など)丸い小さい植物みたいなのを作って協力したり、道路が好きだから道を作ろうといって、城の周りを開拓しはじめたり。これってマインクラフトではないですが、「普通」じゃないですか。遊びだと。ここにおいて、「ただ自分が楽しい」というのを超えて、人を巻き込んでいて、しかも注目すべきは「他の子ども」は楽しんでいる時点でもう価値を提供しているんですよね。

むしろもっと言えば、仕事という時点でその仕事の意味や価値を理解できているか。そうやって考えていくと、むしろ遊び≒仕事なのではないかといっても言い過ぎではないかなとも言えそうかなと。

なぜなら、誰かのためにの要素もあり、価値を提供し喜んでいるのだから。あえていえばお金の動きがないかもですが、実際お金の動きだけで言えることって少なくてその前の信頼がなければやはり動かないところです。ここを外すと、お客さんがお金に見えるというやつで、まあうまくいかないことがほとんどじゃないかなと思います。

もっと遊んで良い。もっとアイデアフルで良い。

今回の結論というか着地点は、もっと遊んでも良いってことです。

つまり、デフォルト状態、つまり大人の感覚がめちゃくちゃ真面目というか、凝り固まっているまであると。肩こりみたいなもので、認知してないけどなんか疲れるなあみたいな。

実際は凝り固まっているので、見方が狭い、肩こりだから疲れが溜まっているし、可動域が少ないだけなんですよね。

ここで、「遊んでない人に遊ぼうよ」っていうのは、結構矛盾というか通じないことが多いわけです。先の「何をして遊んでいいか」みたいな問いかけが返ってくる。遊びってそこを指定しないんですね。けれど自分で決めて考えてやればいいと。そういうのに慣れてない、いやあるんだけど子どもの頃すぎて忘れてしまったんだろうと。

スイッチのように、刺激をして、こうすればいいんですよ。簡単です。遊んで見るって、アイデアを出すってこういうことなんですよ。そうやって見本といいますか、これでいいんですよ。って多少その人からみたら「馬鹿げていて」「そんなのでいいの」ということをやっていく。

これが僕なりの作戦です。戦術レベルではとてもシンプルですが、こういう試みですよね、「こういうのとかどうですか」ととてもくだらない、馬鹿げた、そんなのでいいんだ、ということを示していく。

すると、釣られた人(笑)がそんなのでいいのってなって体が動き始める。そうです、これは楽しいとか、面白そうとかでないと人は動きません。理屈は大事ですが理屈を言っても、理屈詰めでしかなくて、楽しさが見いだせないものはやはり続かないわけですね。

というわけで、もっと遊ぼうということを、アイデアが出ないところに問いかけてどんどん刺激を与えていこうと思います。

アイデアと遊びは多くの共通点を簡単にまとめてみましょうか。

・アイデアも遊びも、自分で考える余地や余裕がある
・アイデアも遊びも、正解はない(自分で決める、色々あっていい)
・アイデアも遊びも、やっていると夢中になっていると思われやすい
・アイデアも遊びも、その人にしか見えない世界やルールがある(他人には分かりづらい)
・アイデアも遊びも、楽しいからやる。
・アイデアも遊びも、楽しさで人を巻き込むことができる。

などとなりそうです。

今回はこれくらいで。


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