⑤連れ子の病気*

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今思えば、わたしができる一番の子供孝行だったように思います。。


〜13年前、シングルマザーだったわたしと7才の娘が
だんなさん、7才のお兄ちゃん、8才のお姉ちゃんと
一緒に作り上げた「家族」のお話です。〜

中学2年生のとき、お姉ちゃんが不登校になり
うつ病と診断されました。

中学受験にチャレンジして、それまでずっと全力疾走していたお姉ちゃん。
きっと疲れがでたんだ、
中学は隣町のマンモス小学校と混ざってのスタートだから、
緊張したり、慣れないことばかり、、
そのうえ美少女だったお姉ちゃんは、男の子との色恋沙汰もあったり
きっとパンクしちゃったんだよね。
そう思っていたけど、、

再婚して6年。
この生活に無理をきたしていたのかもしれない。。
そうなる少し前から、お姉ちゃんは実のママに会わなくなっていた。

だんなさんが大きくなった子供たちに、前妻と離婚に至った理由を
話したことがあって、それは、子供たちには少なからずショックだったはずで。。

どう伝えれば良かったのか、伝えるべきではなかったのかもしれない。。
後悔に近いものがわたしたちの頭をぐるぐるしていた。。
そして、お姉ちゃんの心は壊れてしまった。

「実のママに会いたい?」

わたしたちは、なにかを察してお姉ちゃんに聞いてみた。

「会いたい」

即答だった。

今までがまんさせてしまい、ごめんね。

わたしはそう思った。

わたしは、至らないお母さんだった。
そう思う一番の理由は、彼女に気を遣わせて
好きなことを我慢させ続けていたことだ。

そう思うのに、やっぱり
わたしの心は嵐みたいになった。

「やっぱりだめだった。」

わたしは、”お母さん”の席を奪われたら
もう居場所がない。

”お母さん”はふたりもいらない。
2番目に好きなお母さんなんて
必要ない。

当時のわたしは、そんなことばかり考えた。

でも今ならわかる。

わたしは”継母”でいれば良かったんだ

理想が高くて、完璧主義のわたしは
中途半端なプライドが邪魔して、
最高の継母になれなかった。
ううん。。
受け入れられなかったんだ。
どうしても”お母さん”が良かったの。

だってわたし毎日お母さんとして生きてる。
血のつながりのない分、一生懸命やってる。
実の娘に我慢させてまで、連れ子ちゃんたちを大切にしてきた。

でも、これは間違ってた。
そんなのお母さんじゃない。
お母さんはそんなふうに我が子を愛さない。

無理をきたしていたのは、わたしのほうだった。

その無理が、子供たちを窮屈にさせ、
だんなさんの労力をすり減らし
偽物の家族を守る無駄な作業を繰り返した。。

誰のために?
間違いなく、わたし自身のために。。

子供たち、ひとりひとりに必要だったのは
わたしの理想論なんかではなく
きっと等身大のわたしで良かった。

泣きたい時には泣いて
怒った時には、そのままぶつけて
その代わりに、ちゃんとたのしい時に笑って
嬉しい時には「ありがとう」と言う。

そんなあたりまえで家族はできている気がする
神様みたいなお母さんを追い求めるのではなく
人間らしい、人間くさい
わたしと言う人間が
ただ”お母さん”という役割を担わせてもらっている。



お姉ちゃんは、この頃から徐々に実のママと一緒にいることが増え、
1年後に、我が家を出て、実のママとの新しい生活を始めた。

病状のほうはしばらくの間、落ち着かなかったけれど
誰にも気を遣わない自然体の女の子になった。

あなたの優しさを、真っ白な心を、
わたしの作り上げた生活が汚してしまった気がして
申し訳なかった。
本当にごめんなさい。
そう思っていた。


それから3年ほど経った今思うのは、
彼女のすてきなところは、
わたしなんかが汚すことのできるものではなかった。

今、幸せそうな彼女を見て、

涙も苦労もちゃんとそのひとの魅力になって
返ってくるものなんだなと思った。

だからわたしの後悔は
ただただ反省になって
また今を生きる事に役立っている。



ありがとう。
幸せになってくれて*










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