一度きりの話は読んでみたい

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こんにちは皆様。
本は好きでよく読んでるつもりだが、読みたいのに読んでなかった本が有るのに気付いた。
「一度きりの大泉の話」萩尾望都先生の本である。
この萩尾望都先生、男性でもポーの一族、11人いるなどの著作を知っている人は多いのじゃ無いでしょうか。
私は著作家として萩尾望都先生が好きだ、安部公房先生や大江健三郎先生等の著作家と同等で好きなのだ。(一緒にするなと言われる方すいません)

小説と違って、漫画は総合芸術だと思っていて、舞台芸術や映画を2次元で表現している物だと思っている。
その意味では普通の小説家より漫画家の方が上、位に思っていて、漫画を漫然と読むものと考えている人とは、意見を異にする人間で、漫画も相当の数を読んできました。

その私が神様、仏様、位信仰していると言っていい著作家が萩尾望都先生なのだ。

「一度きりの大泉の話」は手に取って読んでみたいと思う気持ちはあった、しかし竹宮惠子さんとの顛末を書いている事なんだよな、江戸っ子じゃ無いので「喧嘩だ、喧嘩だ」と喧嘩を見る趣味が無いので、手に取るのを躊躇していた。

家では子供を育てる時に言ってきた言葉がある。

「喧嘩はするな、喧嘩に巻き込まれるな、だけど売ってきた喧嘩は買え。」

これを娘はよく覚えていて、今個人事業主として仕事をしている三女などは、決闘ばかりしているガンマンみたいに、毎日構えながら仕事をしている。
「お母さん、いつも売られた喧嘩は買えって言ってたよね。」と同意を求めて、ネット上ガンマンとして、いつでも銃の引き金を引けるような感じで仕事をしている。

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そうなので、喧嘩は余り見たくは無いのが本音ではあった、人の喧嘩の顛末を1900円出して読むのか?如何しようと言う感じ、わかるかな、わかんねーだろうな、ちょっと間を置こうとしていた。

それでも、ネットの中でレビューなる本の解説が、山ほど入って来る。

萩尾望都という天才は自己評価がとんでもなく低い人だったらしい、それはイグアナの娘などの著作でもちょっと透けて見えるのだが、天才なのに自分が凄いとは思わない(本当にすごい人)、一般人とは違う本心が描かれているらしい。

天才の落としどころは我々とは違うのだと、見せつけるような作品らしい。

ぜひ読んでみたいと思っている、著作家としての萩尾望都先生の薄っすら透ける本当を。

いつも、有難うございます。







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