可哀そうの罪

記事
コラム
こんにちは皆様。

人間だれしもバイアスが在って、自分では気付かなかい所で差別をしているのかもしれないなと思う記事を読んだ。

ヘアドネーションの罪って話だけど、何が罪なんだって考えて読んでみた、ヘアドネーションって髪を切ってウイッグを作って脱毛症などの子供に送る活動だよね。

良い事じゃないのかなー、なんてボンヤリした私は思っていて、罪の意味は解って無かった。

この無関心が罪を増幅させているのだよね、ヘアドネーションをするって、ウイッグを作って、髪を失った人に使ってもらう事態は良い、問題はその行為がウイッグを付けなければいけないに発展する。

ウイッグが付けたい物でなく、着けなければ為らないって物に変化するのだ、ウイッグは髪を失った人全てに行き渡るわけでは無い上に、お金が掛る。

そうして髪を失った自分を受け入れることなく、見た目に惑わされて必要性を感じるのだ。

1662936168690.jpg


ドナー(髪を提供する人)は可哀そうという気持ちで。髪を伸ばして切っているのだとは思う。

だけど、可哀そうって何だろう?それ自体が差別に繋がっていかないか、レシピエント(髪を受け取る人)はその時点で人は髪が無ければならないって考えなければ為らないんだよね。

自分が思い込みが強い方だとは思ってなかったけど、これを機にバイアスがあると思って生活せねばなーと思った。

無意識の差別って問題が大きいよね、可哀そうって言葉も気を付けねば。

いつも、有難う御座います。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す