投票に行く自分の基準

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こんにちは皆様。
昨日は車がクラッシュしているのを見て、気持ちが騒いでよく寝付けなかった。

寝付けないと頭の中でグルグルと思考が回っている時がある、それが文に書きたいんだよと思うけど、朝起きる失われた思考になっていて、銀河の果てに言ってしまったりしている。

昨日は思考が今朝まで残っていたのでそれを書く、選挙が近いと外が騒がしくて、行かなくっちゃと考えている。

実に選挙権を手に入れてから、それを放棄したことは一度も無い、先人が作ってくれた権利を行使しないのは自分が許せなくなるからだ。

昔、元夫と会社をしていた時は、選挙が近づくと候補者の方がやってきて、挨拶をして帰って言ったりしていた。

「選挙の時だけやな。」と元夫はぶつぶつ言いながらも、そんな時でないと言いたい事が言えないので、好きな言葉をぶつける時間になっていて、候補者に言いたい事を言っていた。(そんな時しか言えないしね。)

岡田克也氏が来た時などは偉そうに「若いのにこんな選挙活動しとったらあかんよ。」(元夫の方がちょっとだけ年上)なんて説教をして、「政治家は選挙に通らなければ何もできませんから。」と返されていたのが印象的だった。

私は現在ニュースピックでニュースを読んでいる、テレビやネットの情報が多すぎて把握しきれないので、ニュースピックに乗ったニュースで考えている。

その中で元衆議院議員の方がピックした記事が有って、その記事は兎も角コメントの中で、頑張って勝ち抜いた(私はこの選挙に勝つという言葉が大嫌い、議員になるって勝ち負けじゃないよね)。

しかしながら元秘書がめちゃくちゃにしたと書いていて、そこで私の至らなさだと言われても、パワハラめいた言葉が有ったのは事実ですし、秘書とコミュニケーションは取れていなかったんだと思う。

秘書が元記者でその後記事で利益を得ようが暴言が有ったのでしょう。

私は会社をしていた時期に、岡田克也氏のホームページに意見を書いた事が在って、その時には意見をお書きくださいと書いて有っても、きっと読まないんだろうなと考えながら打ったメールだ。

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その頃は子供が小さくて、子供の教育を考えるとメディアリテラシーを教えるのが急務だと思っていて、その勉強を初等教育から入れる必要があると考えていた、その考えを書いたメール。

その頃近所の人に、メディアリテラシーの話をして、取り敢えず何も信じない、事実の積み重ねを見て、考えて信じるのが良い、と持論を言ったら。

「新聞も信じないの?」「テレビも?」と聞かれた。

新聞って戦争当時は間違った情報を平気で発信していたんだよ、テレビだってそうじゃない、とは思っていても、メディアリテラシーを知らない世代に行っても仕方が無い。

これは教育だと思って書いたのだ。

見ないんだろうなと思っていたメールには直ぐに連絡が来て、秘書の方がわざわざ会社に来てくださって話を聞いてもらった。

有難かった。

家みたいな零細企業、私などは発信力など無く、選挙対策にもならないだろうに、秘書さんは時間を取って話してくれた。

秘書さんの仕事ってそうなんだー、と感じた瞬間だった。

結局、候補者(議員さん)が連携しないと、きっと言葉を拾って反映させるには至らない。

そう考えると自分は頑張って勝ったけど(勝ち負けって選挙民をどう考えているんだよ)秘書がーと言い訳したいのは解るが、それは理由にならない。

たった一票、されど一票、折角ある権利を行使したい。
いつもそう思って投票に行く、皆さんはどんな方に投票しますか、その方は話を聞いてくれそうですか?

いつも、有難う御座います。




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