パラリンピックのもたらしたもの

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こんにちは皆様。
パラリンピックも終わって、凄い人の事は忘れそうになってしまっています、でも、この機会に障害があるという事が生きづらいと解ってきたような気がします。

随分昔の話ですが、まだ会社をしていた頃、夫との仲人をしてくれたご夫婦がいて、ある会社の社長さんだったのですが、ある時家業を息子さんに渡して、会長になっておられました。

その会長ご夫婦は、次は社会貢献だと言って、障害者施設を作ってそこで障害者に働いて貰おうと言っていた。

その会長がたまに会社に話をしに寄られた、元気でやってるかと言って寄って下さっていたのだ。

その時に私は障害者と言っても、納税者になる事が出来ると考えて行動する人達が居ると聞いていたので、その言葉をぶつけてみた。

「障害者も納税者にを合言葉に、仕事を教えている団体が有るらしいですね。」

するとこうである。

「納税者やったら、それはもう障害者や無いやないか。」

そうなのだ、障害者と言えば一般的には守るべき存在、何もできない存在って言うのが昔のイメージだったし、助けてあげないとよろしく無いと思っていた。

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社会がその障害の多様性に配慮して、尊重し平等に生活できる基盤を作らなどは考えない時代だったのです。

パラリンピックを見て感動だけでなく、その多様性に驚いていて、本当に障害って多様な物だと思わされた。

ここから障害が公の物になって、誰もが(障害が有っても)公共を共有できるようになると良いと思ったりする。

それはまだ夢なのかな。

フェデラーは2007年にインタビューを受けた時、なぜ日本のテニス界から世界的な選手が出ないのかとの質問に、日本には国枝がいるじゃ無いかと言ったそうだ。

それが普通の世界になれば良いと思っている。

いつも、有難うございます。




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