信仰のために不自由になることがあるよ、という話

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コラム
年末ですね。みなさまいかがお過ごしですか。

宗教の話じゃないんですけども、そういう信仰から話したほうがいいでしょうかね?

特定の宗教に所属している人は、その宗派の教えを真実として"信仰"していたりしますね。もしくは墓守のための、先祖供養のためのものと割り切っている方もあるかな。

無神論者だと自身を紹介する方の中には、神がいないことを"信仰"している方がありますね。もしくは単に宗教を信じないことを無神論と結び付けて仰ってる方もあるでしょう。

我々は大なり小なり、何かを"信"じて生きています。

お金はサービスや物品と交換できるものとして、少なくとも今日や明日中に使えなくなることはないだろう、ということをわざわざ経済紙の分析をせずともほとんどの人は盲目的に"信仰"していますし。

自宅がちゃんと数カ月先もそのままあるという"信仰"に基づいて、高級な物品を買い集めて、そのまま寝泊りする場所で保管するとか。

これは生きていくためには必要な"信仰"だと見なして、問題は起きないでしょう。

でも別に"お金を稼がなきゃ生きていけない"わけではないです。周りに衣食住のすべてをまかなってくれて、趣味もすべて援助してくれるような人たちに恵まれていれば、お金である必要はなかったりする。だから、必ずしも"働かなくては食えない"とはいえない。そもそも金銭が発生する仕事ばかりが仕事じゃないわけですから。案外、このあたりのことを扶養されていない時期が長くなって、自分が稼がなきゃ食べていけないという"信仰"にとらわれているがために不自由になっている方もあるんじゃないかな。

働き方もいろいろですね。

どう生きたいかで、生き方を決めていいんですよ。本当にその生き方をしたいなら、多少の不安や困難や、思いもよらない危機に出くわしても乗り越えていけるでしょう。あれ、自分の"外"にあるものはそれだけ"信"じられても、自分のことは信じられませんか。なかなか難しいという方もあるようですね。

生きているという、その不思議さに、あなたがあなたであるということの不思議さにまだ気づきませんか。

……お気づきになられた奇特な方でもっと話を聞いてみたいという方は、僕とお話しましょう。あなたと僕との交わりによって、また大きな気づきが生まれるかもしれませんよ。過去に僕のところに来てくださった方たちとのあいだに起きたそれと、同じようにね。

ではでは^-^
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