「占い」と「占い師」の関係

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占い
ペンデュラムによる占いは、はっきり質問に対する答えが綺麗に出てしまうので、「嘘をつく」ということができない。

ゆえに、いわゆる上げ鑑定や下げ鑑定と呼ばれる、占い師本人の味付けによる「補正」というものは、付け加えようがない。あるとすれば、ペンデュラムの揺れの意味を誤解したり、するべき質問を誤ることによる間違いだが、これも注意深く行えばほとんどの場合排除できる。(そして依頼者の方の協力をいただけば、ほぼ誤読の可能性はゼロにできる。)

よくある雑誌の「星座占い」というのも、実に作っている筆者の方によって注意深さが異なる。その太陽星座を生まれとして持つ人全体に向けた記述をする人から、その雑誌を手に取る方に限定して書く方まで、命占の技術とは別のところで視点に違いがある。

だが翻訳という作業が翻訳家の読解能力や解釈、作文の技量に左右されることや、接客業(医療従事者を含む)の(知識の多寡とは別に)目の前の方への配慮の視界の広さと同じように、占い師本人の精神状態が言葉に滲むことで他者を傷つけたり嫌な思いをさせる、あるいはズレた答えを返してしまうということは起こりうる。

今回は、なぜこのようなことが起こるかについて、少し考えていく。


占い師に求められているのは、直視するのが酷な現実をいやみったらしく言葉で叩きつけることでも、事実と異なることをあたかも真実であるかのように言いくるめることでもない。占いを必要としている人にとって、今本当に必要なことを伝える担い手となることである。ここを履き違えると、伝えなくてよいことや伝えてはならないことを形にして渡してしまい、お相手の不興を買うことになる。傷つけることになる。傷ついた相手の方からは、その「思いの丈」をなんらかの形で受け取ることになる。実際にズバッと普通は言いづらいことというのを、他者の口を借りて言ってもらうことになる。

「あなたは占い師として間違っている」と。

これはともすると、「依頼者が一般人だから、知識がないために誤解されているのだ」と思ってしまいかねないが、そうではない。あなたに高次の存在が直接伝えられないことを、他の人の口によって伝えている。すべての結果には必ず原因がある。人生を形作っているのは、言葉である。この世は気づきと行動のゲームである。

「間違っている」と言われていることを受け入れることは難しいが、よくよく考えてみてほしい。やり方が間違っているのなら、変えればよいだけなのだ。

進んでいやな思いをする必要はない。今まで習慣的に行ってきたことを変えるのは緊張するかもしれないが、うまくいかない方法を繰り返して得られるのはうまくいかない結果であるし、稀に致命的な結果が出る方法を繰り返して得られるのは稀に致命的な結果が出るという結果である。やり方をあらためない限り、この結果は続く。


本当に行うべき方法については、もうご存知のはずである。
していないだけならば、すれば変わる。変えるべきは他人ではなく、自分自身の決断の仕方と、伴う行動である。

ではでは。
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