きっかけ---「自己観察」の補足

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少し話がそれますが、「自己観察」は、本質を理解して行わないと、少し面倒なことになることをお伝えしておきたいと思います。

「観察」には、観察する側の「主体」と観察される対象の「客体」は必要だとお伝えしました。

そこで、「自己観察」をしようとしたときに下記のように考え取り組んだとします。

『観察するには、観察する側の「主体である自分」と、観察される対象の「客体である自分」が必要なので、「ただ見ている自分(観察者)」と「見られている側の自分(対象)」がポイントになる。よし、客観的に自分を観るようにしよう。』

自分の中で、自分を分離するわけです。

この分離は、とても危険となります。

自分が何か言動をしても、もう一人の自分がただ観察しているような感覚になるのですが、少し想像をしてみてください。

自分(主体)が朝顔(客体)を観察している時に、朝顔を自分だとは思いませんよね?

朝顔は、自分ではなく、朝顔(自分以外のもの)でしかありません。

自分の中に「主体」と「客体」を作ってしまうと、自分であって自分でない自分という認識に、無意識に陥ります。

すると、自分のことであるにも関わらず、他人事のように捉えてしまうようになります。

そうすると、「観察者」だったはずが「傍観者」になってしまいます。

自分とは関係ない傍観者で、いくら自分を観ていても何も気づけません。

自分が苦しんでいるにもかかわらず、他人事のように自分を観ている。

何かトラブルが起きているにも関わらず、他人事のように捉えている人をたまに見かけませんか?

そういう人は、自分の中に主体と客体を作り出し、傍観者になっている場合が多いです。

もちろん、無意識に無自覚にそのようにしている場合が多いです。

こちらも、無意識、無自覚にしているから、少し大変です。

本人は傍観者になっているつもりはないのですが、言動は傍観者そのものですから、周りからは、「自分のことだろっ!」と言われるのですが、本人は「そんなことわかっていますよ!」とは言うものの言動はどこか他人事になってしまいます。

こうなってしまうと、少し大変です。

また、度が過ぎると、二重人格的なものを形成していくようにも思えます。

無意識、無自覚に自分の中に主体と客体を作り出しているものは、ある意味しょうがない(本当は、違いますが…)ですが、これから「自己観察」をしていこうとする場合、本質的なものを理解して実践しなければ上記のような面倒な自分へと変質してしまいます。

というわけで、「自己観察」は、本質を理解して行うようにしましょう。

あ、そうそう。
今回は、書きませんが、自分の中に主体と客体を作り出してしまった場合、元に戻す(分離した自分を一つにする)方法もあります。

こちらも、機会がありましたら書き綴ってみたいと思います。(笑)

かゎら



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