きっかけ---「考えるのをやめた瞬間」を読んでのメッセージ

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受講者の方から、メッセージが届きましたので、それに対する回答を書き綴ってみたいと思います。

その方のメッセージをまとめますと、「友人と話をしていて、その友人の現状が大変な状況にある時に、どう励ましてあげようかと考えて考えて言葉を伝えようとするのですが、良い言葉が思いつかないことがある気がします…。」というような内容でした。

考えて考えて言葉を選んだにも関わらず伝わらなかった場合、とても疲れたりしますよね。

もともと、考える行為そのものがエネルギーを使うので疲れるのですが、自分の思う結果に結びつかないことでさらに疲れます。

では、この場合、「なぜ考える」と思いますか?

答えは、友人の話をきちん(しっかり)と聞けていないからです。

もし、友人の話をきちん(しっかり)と聞けているのであれば、“考えることなく”友人に伝える言葉が自然と口から出ています。

それも、今の友人に必要な言葉…激励かもしれませんし、励ましかもしれませんし、𠮟責かもしれません。

もちろん、言葉はなく、ただただ寄り添うだけかもしれません。

それは、今の友人にとってとても助けになるものになります。

「何を伝えれてあげればよいのか…」と、考えた瞬間に、すでに友人の話はきちんと聞けていません。

聞けていないから、聞けていない部分を補うために、“考えなければならない”ようになります。

「励ましたほうが良いのか?」
「叱ってあげたほうが良いのか?」
「同情してあげたほうが良いのか?」etc…
色々と考えてしまいます。

今回の内容は、「考えるのをやめた瞬間」記事とは、少し違う視点での「考える」の考察になりますね。

考察と言っても、全く考えてはいないのですが…(笑)

この視点の違いに気付かれるようですと、自覚が強くなってきたと言えます。

これも、少し視点が違う話ですが…(笑)

次回は、続きを書き綴りたいと思います。たぶん。(笑)

かゎら



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