自覚⑧の続きですね。
筍一つ一つが別々の気持ちだとしても、地下茎でつながりあっていると書きました。
つながりあっているので、影響を与えている(されている)とも書きました。
ここで、またまた、話がそれまして、補足説明をしておきます。
自覚⑧で「心」は傷つかないと表現していますが、「本当に心は傷つかないのか?」と尋ねられますと、「傷つくかもしれませんね。」と答える時もあります。
また、複雑になってきましたね。(苦笑)
でも、複雑な話ではありません。
人は、自分が感じて表現したいものを「言葉」で表現するには、現在ある言葉では全然足りないと私は感じています。
例えば、表現したいことが「1万」あるのに使える言葉が「1」しかないくらいの感覚です。
(実際には、もっと開きがあるのと思います。)
1万に対して、1しか使えないのですから、表現するのはとても大変です。
例えば、まだ、言葉を話せない赤ちゃんが自分の伝えたいことを表現しているのを思い出していただければよく分かると思います。
泣き声だけで、いったいどのくらいたくさんを表現しているのか…。
言葉をかなり覚えた大人でも、私は赤ちゃんと同じくらいだと思っています。
ですから、一つの言葉を表現する時に、出来る限りその言葉に自分が「何を含めているのか」を感じ取って表現するようにしています。
「心」という言葉一つ使うにしても、その時その時でそこに「含むもの」は変わってきます。
もちろん、相手がいる場合には特に変わってきます。
相手が表現される「心」という言葉が意味しているものが、自分が表現する「心」と同じとは限りません。
というよりも、まず間違いなく違います。(笑)
違うからこそ、自分が表現する「心」と相手が表現する「心」を感じ取ることが大切になります。
「気持ち」を「心」と表現されるのであれば、その「心」は傷つくことでしょう。
ですから、「心は傷つく」とも表現できます。
毎回毎回、話しが逸れまくりです。(苦笑)
いつ終わるのか、私にもわからなくなってきました。。。(笑)
そして、続く!(笑)
かゎら
気持ちのままに 心のままに 想いのままに ありのままに